【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2021年7月4日説教要旨
聖書箇所 テモテ第2 4:13、16-18
パウロの獄中の願いー外套と書物
瀬戸 毅義
テモテへの手紙(第1,2)とテトス書を牧会書簡といいます。牧会書簡は文献学的、学問的、批評的な立場から見れば、パウロの真正の手紙ではありません。パウロの名前を借り、受信者をテモテ、テトスになぞらえて書かれたものです。
著者は2世紀前半の有力な指導者で、教会生活の秩序と訓練を諸教会あてに記しました。このような手法は古代の習慣の一つでした。
今朝の聖書箇所はテモテ第2の手紙からです。特にこの手紙は貴重です。パウロの最後の様子がよくわかるからです。この手紙(テモテへの第2の手紙)はパウロの絶筆であり、死を目前にしての最後の書となっています。
本書には西暦67年―68年ごろのパウロの様子がよく描写されています。死を目前にして牢獄から書かれたことになっています。
使徒言行録28章(西暦59年―60年ごろ)のパウロはローマで自宅軟禁の状態でした。パウロにはまだある程度の自由がありました。本書では状況がまったく違っていて、パウロの自由などは皆無です(2テモテ4:6-9)。
ネロ皇帝のキリスト教迫害は西暦64年に始まりました。ネロは暴虐非道でした。キリスト教徒を十字架にさらしただけでは飽き足らず、彼らに獣の皮を着せ猟犬に追いかけさせました。生きたままにキリスト教徒に火をつけ燃やし、それをおのれの庭園の照明にしました。
そのような迫害のなかで、パウロはテモテを励ましました。
「もしわたしたちが、彼(キリスト)と共に死んだなら、また彼と共に生きるであろう。もし耐え忍ぶなら、彼と共に支配者となるであろう。もし彼を否むなら、彼もわたしたちを否むであろう。たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。彼は自分を偽ることが、できないのである」(2:12-13)。
またパウロは死を眼前にして「上着と書物」を持ってきてほしい」と頼んでいます。牢獄の中は寒く老齢のパウロには辛かったのでしょう。パウロは貧しく厳しい状態におかれていました。彼の学ぼうとする精神はいささかも衰えていません。
書物はギリシャ語でタ・ビブリアです。これをbooksとする訳もあれば、scrollsとする訳もあります。scrollは古代の書物でパピルス・皮・羊皮紙でできていました。 巻きやすいように両端に軸がついていました。パウロは特に、「書物、特に羊皮紙のもの」(新共同訳)を希望しています。
どんな書物だったのでしょうか。旧約聖書の羊皮紙の巻物とする説もあれば、通常一般の書物とする説もあります。パウロは伝道のため旅をしました。伝道地に関する書物も携行したでしょう。手紙などを記すさいに使った雑記帳などを望んだのかもしれません。要するに確定した説はありません。
使徒行伝に次のようにあります。
「パウロがこのように弁明をしていると、フェストは大声で言った、『パウロよ、おまえは気が狂っている。博学が、おまえを狂わせている』」(使徒行伝26:24)
パウロは揺るぎのない信仰の人でしたが、深い学識の人でもありました。そのことはこのフェストの言葉からもよくわかります。
上着(口語訳)は新共同訳では「外套」です。文語訳聖書は外衣(うわぎ)。英語聖書ではcloakで、これは旅行用のもので衣服の上にきました。袖なしで、中央に首と頭の為に穴がありました。パウロは伝道の旅をするときはそのマントを着たのだろうと思います。外套は防寒の役割もしました(Archaeology Study Bible)。
終りに、手紙の中心聖句を挙げます。
〇神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基き、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜わっていた恵み、そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである(1:9-10)。
〇あなたは真理の言葉を正しく教え、恥じるところのない錬達した働き人になって、神に自分をささげるように努めはげみなさい(2:15)
彼の願いは、テモテが福音を忠実に守り、それをのべ伝えることでした。
本書に、兵役に参加する者、競技に参加する者(2章)などの軍人的・アスリート的な隠喩(メタファー)があります。それは信仰を守り抜くときに、テモテに要求される勤勉さを描くためです。
キリスト信者も主が与えて下さった勤めを忠実に全うしなければなりません。パウロのように様々の邪魔や困難なことに負けないで自分の生涯を全うしなければなりません。
最後に、内村鑑三著『「キリスト信徒のなぐさめ』から一箇所引用させていただき結びとします。わたくしはこの名著からたびたび慰められました。
汝神を有す又何をか有せん。不治の病、怖るるに足らず。快復の望みなお存するあり。これに耐ゆるの慰めと快楽とあり。生命に勝る宝と希望とを汝の有するあり。また病中の天職あるなり。汝は絶望すべきにあらざるなり。(六章『不治の病に罹りしとき』末尾)。