【聖書箇所朗読】
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2021年3月28日説教要旨
聖書箇所 マタイ福音書27章1節~10節
ユダの破綻
梅木 光男
いよいよ受難週です。各福音書は主イエスのエレサレム入場から十字架の贖いの死と復活について克明に記しています。本日は特にイスカリオテのユダの裏切りとその顛末についてマタイの福音書27章から述べてみたいと思います。今年の2月までNHKの大河ドラマ「麒麟が来る」で主人公明智光秀の生涯が放映されました。何故主君の織田信長を本能寺で殺害しなければならなかったは依然「謎」です。これと同じ状況が本日の箇所ともいえるのではないでしょうか。聖書には「サタンが入った」としか記されていないからです。
イスカリオテのユダは12弟子の一人であり、主イエスとの出会いに感動し、一人の人間として受け入れられて会計担当として重用されたことに満足し「この人ならきっと世の中を変えてくれるに違いない」と確信を持って行動を共にしたことでしょう。しかし、あの「ナルドの香油事件」から徐々に確信が疑念へと変化していきました。ユダ自身の思いと主イエスの思いにずれが生じていたのです。主イエスのエレサレム入城後、神殿粛清や話をするだけで人々の歓喜の声に何ら答えようとしない主イエスに失望を覚えていました。ローマ皇帝の支配に対し、武器を取ってイスラエル王国の再興と民衆の救済をすることを主イエス・キリストに期待していたのです。そのためにユダの心にサタンが入り、きっとギリギリの極限状態に主イエスを置けば奇跡を起こし本当のメシアの力を発揮すると考え、銀貨30枚で祭司長たちに売り渡したのです。しかし結果は最悪でした。ユダの思惑は破綻し、まさか主イエスが有罪となり十字架刑に処せられるとは予想外の展開です。ユダは自分自身の思いに固執し自己正義に陥っていたのです。この後の結末は聖書に詳しく記されています。神の救いの業は我々が想定以上に厳しく愛に満ちた方法で実現していくのです。