【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2018年9月9日説教要旨
聖書箇所 ルカによる福音書17章11節~19節
「一人のサマリア人の信仰」
梅木 光男
本日はルカ福音書17章から「一人のサマリア人の信仰」を取り上げました。この物語は単純でわかりやすいので、印象が薄くかつあまり記憶に残らない思いがあり、また「評論家」的な読み方に陥ってしまう危険性があります。ここの箇所を理解するためには、サマリアという政治的宗教的歴史的対立構造とユダヤの律法に規定された「穢れの浄化」レビ記の知識が必要となっています。聖書の御言葉をどのような時代背景やその時に置かれた立場で読み取るかによって、その理解は大きく異なります。
サマリアはイスラエル王国が分裂して北イスラエル王国となって歴代の王により偶像礼拝に陥りまたアッシリア支配によって外国人との雑婚により異教化が進展した結果、ユダヤ民と大きな対立・差別のなかにあったのです。しかし、この対立関係にあったユダヤ人とサマリア人がそれぞれの仲間から「重い皮膚病」のために追い立てられ、差別と偏見・蔑視のなかで一つの共同体を形成していたことが覗えます。そのようなときに主イエスのうわさを聞きつけ必死の思いで「わたしたちを憐れんでください」と叫ぶのです。すると主イエスはただ「祭司たちのところに行って体を見せなさい」と言われ、彼らは直ちに受け入れ行動を起こします。するとその途中で病気が癒されたことを実感するのです。するとサマリア人だけが大声で神を賛美しながら戻ってきて主イエスの足元にひれ伏し感謝したと聖書は記しています。本来ユダヤの民がしなければならない神への賛美を外国人とみなされたサマリア人が行動と信仰を示したことに、主イエスは最大の賛辞を送って励まされたのです。途中から引き返すことは自分自身の決断です。彼は主イエスの言葉に押し出されるように「新しい命」を得て神の愛を確信しつつ生きる喜びに溢れたことでしょう。
私たちもこのサマリア人の喜びを自分のものとして生きようではありませんか。