【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2023年10月29日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書6章1-13節
主の祈り
諸岡 寛
毎週の礼拝では、必ず主の祈りを唱和します。「主の祈り」は主イエス・キリストの祈りです。イエス様が弟子たちに教え、教会を通して私たちに教えられた祈りです。祈れと言われても、どう祈っていいか分からない私たちに、ポイントをつかんで丁寧に教えてくださいます。
本日の招詞、ルカによる福音書11章の箇所ですが、「イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、『主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください』と言った。そこでイエスは言われた。『祈るときには、こう言いなさい。父よ、御名が崇められますように、御国が来ますように。わたしたちに必要な糧を毎日与えてください』」と。
さらに本日の聖書箇所、マタイによる福音書6章で、イエス様は「あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」と告げます。「また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない」と。祈りはあれもこれもと、くどくどしないで、実にシンプルであることが求められます。
コへレトの言葉5章1節にも 「言葉数を少なくせよ。」とあります。さらにガラテアの信徒への手紙4章6節には、「あなたがたが子であることは、神が 『アッバ、父よ』 と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。」と記されます。祈るときは、アッバ、父よ、お父ちゃんと叫んで祈るのです。アッバは小さな子どもが用いるお父ちゃんと甘える呼び方です。
最近は父なる神と限定して祈らなくなりましたが、それでも神さまは伝統的にはお父ちゃんなのです。カトリックの井上洋治神父は、(東大哲学科を出て遠藤周作とフランスに留学された方ですが) 日本人の琴線に触れる神学として、アッバ神学を探求し、何と「南無アッバ」を唱えたのでした。アッバアッバと言うと妙なので、念仏の様に「南無アッバ、南無アッバ」と唱えたのです。祈りは実に現実です。常にお父ちゃんである神さまとつながり、身近で具体的です。そしていつも日常の糧であるパンを願い求めるのです。
さて先日書店で 「主の祈り」 の本を見つけました。タイトルは「今を生きるあなたに」、著者はアメリカの神学者ウィリモンです。思わず目を引いたのは、毎回礼拝で唱える 「主の祈り」 が10等分されて、それぞれに詳しい解説があることです。いつも念仏の様に唱えている「主の祈り」をこれから具体的に学んで行きたいと思います。「主の祈り」 は教会の中で、キリストのからだのただ中で口にされます。「主の祈り」 は教会の中での共同体の祈りです。