2018年4月1日説教要旨 聖書箇所 ルカ24:1-12
『主はよみがえられた』 瀬戸毅義
1986年の8月のことです。内村鑑三(1861‐1930)の墓を訪ねることにしました。家内の父母が東京の地理に詳しく同行してくれました。中央線武蔵境駅から西武多摩川線に乗り換えて多磨墓地駅前で下車します。そこに東京都立多摩霊園があります。霊園の正門から右手の方に約10分歩きますとその墓はありました。8区1種16側29番という場所です。用意した花を手向けてしばし黙想しました。
墓には次のように内村鑑三の筆跡のまま刻まれています。
I for Japan; Japan for the World; The World for Christ; And All for God. この言葉は彼が愛用した英語聖書の裏表紙に、“to be inscribed in my tomb(余の墓に刻まるべし)の付文と一緒に記されていました。その墓に近く一つの碑が別に建っています。内村の友人本間俊平(1873-1948)が長門秋吉より切り出した立派な大理石の碑です。次の文章が刻まれていました。
再 るつ子内村鑑三と岡
た 田しづ子との間に
會 生れし一人の女なり
ふ 1894年3月19日
日 京都に生まれ1912年
ま 1月12日東京柏木に
で 眠る友人の同情に依り 此の碑を建つ
内村るつ子は鑑三と岡田しづ子との間に生まれた一人娘でした。生まれつき蒲柳の質でしたので19歳で永眠しました。彼女はやさしい性格でしたが、人前ではクリスチャンであることを恥じませんでした。「この再た會ふ日まで」の碑には、彼の深い復活の信仰があらわれています。内村にとって死はキリストの下に行くことでした。恐怖ではなく喜びでした。友の国に赴くことでした。「再た会う日まで」とは何と美しい言葉でしょうか。キリスト教の来世に対する考えが十分に現れている言葉です。
「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」(コリント第一 15:14)
我等は四人であった
しかして今尚(な)お四人である、
戸籍帳簿に一人の名は消え、
四角の食台の一方は空しく、
四部合奏(しぶがっそう)の一部は欠けて、
讃美の調子は乱されしと雖(いえど)も、
しかも我等は今なお四人である。
我等は今(いま)尚(な)お四人である、
地の帳簿に一人の名は消えて、
天の記録に一人の名は植(ふ)えた、三度の食事に空席はできたが、
残る三人はより親しくなった、
彼女は今は我等の中(うち)にいる、
一人は三人を縛(しば)る愛の絆(きずな)となった。
しかし我等はいつまでも斯(か)くあるのではない、
我等は後に又前の如く四人に成るのである、
神の箛(らっぱ)の鳴り響く時、
寝(ねむ)れる者が皆起き上がる時、
主が再(ふたた)びこの地に臨(きた)り給う時、
新しきエルサレムが天より降(くだ)る時、
我等は再(ふたた)び四人になるのである。
1912(明治45)年二月『聖書の研究』)