【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2019年6月23日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書21章28節~32節
二人の息子のたとえ
梅木 光男
本日はマタイ福音書21章28節から32節の「二人の息子のたとえ」と題して取り上げました。あまりにも単純で分かりやすいたとえなので、記憶に残らずかえって本質が分かりづらいかと思います。しかもマタイ福音書のみに記載されているたとえです。
二人の息子の物語といえば普通すぐ「放蕩息子」のたとえが思い浮かびます。ここはもう一つの二人の息子の話です。
ここの本質は「どちらが神の望みどおりに行動したか」あるいは父からの問いかけである「今日ぶどう園に行って働いて欲しい」という依頼にどう対応したかです。兄と弟は、それぞれ違う人格を持っています。我々は人を判断するときに、血液型や生年月日、星座などで勝手にその人となりを判断したりします。ここでも、とかく世間で言われているような我々が抱く兄と弟のイメージにあてはまっているのは不思議な感じです。
一般論で兄は従順で模範生?で親には反抗的態度を取らず、表面的には何ら文句を言うことがないというイメージです。ここの場合は父からの依頼には「はい」と答えたものの、実際はなんの手伝いもしなかった。
逆に弟は悪戯好きで反抗的態度をしばしば取り、親からみれば困った存在であることが多いというイメージです。ここでも最初は「嫌です」と言ったものの後で後悔したのか「やっぱりお父さんの手伝いをしよう」と前言を覆すのです。
あまりのも好対照の事例です。主イエスは「神の望みに従って行動した(生きた)者は誰か」ということを問うているのです。父と共に働くこと、それは父の愛のなかに生きることなのです。主イエスと共に愛と労苦の中でぶどう園を耕し収穫するという、その歩みになかなか生きようとしない我々一人ひとりが、問われている問題なのです。