【聖書箇所朗読】
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2026年2月8日説教要旨
聖書箇所 ヨハネによる福音書15章12節
互いに愛し合いなさい
原田 寛
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの「掟」であると言われています。「掟」という言葉は、グループの中で守るべきルールを意味しています。ルールとして「互いに愛し合いなさい」と主イエスは、弟子たちに命じます。今朝は、ふたつの視点をもって学びたいと思います。
ひとつは、「互いに愛し合いなさい」は、5節以下の「5:わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊か実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。6:わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。」の文脈で語られていることです。
主イエスは、マルコ福音書14章27節で「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』」とゼカリヤ書13章7節を引用して弟子たちに語っています。弟子たちは、その言葉通りにゲッセマネの園で主イエスを置き去りにして逃げてしまいます。彼らは、そのまま、バラバラになってしまう状況があったかもしれません。しかし、主イエスの死後、再び集まっていました。集まった時、普通なら主イエスの死について弟子たちの間で責任転嫁をするなど争いが生じたことでしょう。しかし、彼らは、そのようなことをせず、息をひそめつつ、お墓で起こったことの報告に驚きつつ、生前主が語っておられた「わたしが、あなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」との御言葉を思い起こしていたと思います。復活の主は、そのような中に現れたのです。彼らは、この主に連なって歩み続けるように導かれていくのです。
私たちにとって主イエスに繋がることは、主の恵みを覚えずにはいられません。それは、いつどのように救われたのか。その時に、自分の罪を悔い改めるようなことがあったり、自分のどうすることもできない弱さに対して、主の深い愛と憐みを覚えたりします。私たちは、そのような恵みによって主に繋がっているわけです。同時に、弟子たちが共に歩むようにと、ひとつのところに集まっている隣人へと思いを向けたのではないでしょうか。復活の主に出会っていなかったトマスの思いを出会った他の弟子たちは、受け止めていました。トマスの問いにだれかが、
もう一つは、ヨハネ福音書が伝えられた状況です。1世紀末のパレスチナでした。時代は、ローマ帝国やユダヤ教による迫害を受けるだけでなく、キリスト教会が異端の影響を受けていく時代でした。内外に課題をもったキリスト教会のルールが「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」でした。
主はすべてのことをご存知です。み言葉を行う者に伴われます。
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