【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2020年4月26日説教要旨
聖書箇所 マルコ福音書3章1節~6節
人として生かされる
梅木 光男
まもなくゴールデンウィークが始まりますが、今年は新型コロナウイルスの影響で従来とは大きく趣が異なり、世の中全体が「自粛ムード」の中で沈滞化空洞化傾向にあります。本日はマルコ福音書3章の冒頭部分から「安息日」論争について取り上げました。
安息日は神の創造の御業を記念し、また出エジプトの神の憐れみを覚えてイスラエルの民は神を礼拝するために聖会の日として特に大切に守っている戒めです。それは十戒から始まり39の律法と234の細則によって厳格に運用されてきたといわれています。今日の箇所で主イエスは福音伝道にあたって安息日にユダヤ人の会堂で教えていた時にパリサイ派が主イエスを罠にかけるために手の萎えた人を癒すかどうか試みる場面です。律法の定めによれば生命の危険にさらされている場合のみ治療行為は許されていました。しかし、それは例外規定です。そもそも障がい者や病人は神からの祝福に漏れた人として仲間から除外して遺棄した存在だったのです。主イエスは彼らの意図を見抜き彼らの頑なな心に怒りかつ悲しんで、彼を会堂の真ん中に立たせ「手を伸ばしなさい」と宣言され癒されたのです。
しかしそれはパリサイ派の人々からすれば明白な安息日律法の違反であり神への冒涜であったのです。彼らは自分の正義に絶対的な自信を持ち、ついにイエス殺害計画まで至ったと聖書は示しています。
主イエスは一人の人間の重さ価値を確認し、救いを求める人を隅ではなく真ん中に置き、新しい命を与えられたのです。また本来の安息日の意味である「神を礼拝し讃美する」ことの重要性を再びしめされたのです。一人ひとりの命を守るために旧来の慣習に固執せず、本来の目的に立ち戻って考える必要があると思います。