2025年9月6日説教要旨
聖書箇所 ルカによる福音書18章18~27節
人間にはできなくても
原田 寛
イエス様はある金持ちの議員から「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と質問されます。イエス様は、この質問に対して、ふたつの事柄を返します。
ひとつは、「神以外に善い者はいない」です。
人の善悪を判定し、永遠の命を授けるのは、父なる神です。神は、イエス様の十字架の死と復活後、御子イエス・キリストを裁き主として立てることになります。イエス様は、父のみこころのままにする方です。神は、すべてを創造し、すべてを知り尽くし、すべてを支え、導かれます。イエス様にとって神様のみが「善い」方なのです。
もうひとつは、何をするなら「永遠のいのち」を受け継ぐことになるのかという質問に対する返答です。「姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え」と十戒(律法)を示します。議員は、人々から議員として立てられるほどの人物ですから、律法においては非の打ちどころのないものと考えられます。議員自身も自覚していることです。しかし、イエス様が示すことは、「持ち物を売り払い貧しい人々に施して天に宝を積み上げ、そして、イエス様と共に歩むこと」でした。
永遠の命を受け継ぐこととは、受け継がせてくださる神のみもとに宝を積むということです。天に宝を積み上げて主と共に歩むことが重要なことです。現実的な助けを必要としている人は、今も昔もたくさん居ます。その人たちがその助けを神に祈っていないとは考えられません。神は、助けを必要としている人と人を助けたいという人を、引き合わせてくださることができます。また、助けられた人は、助けられて当然とは思わず、感謝と喜びを助けた人だけでなく祈った神に表すことでしょう。助けられた人は、喜ぶだけでなく、安心したり、生きていく力を得たり、生き方を変えたり、いろいろなことに繋がります。そのようなことで天には、大きな喜びがあるのです。正に、天が宝を得たようなことです。
議員には、この世に資産がありました。その多くは、先祖から引き継いできたものでしょう。そして、将来に向けて守っていく責任もあったことでしょう。議員は、彼が求めている永遠のいのちとこの世の資産を抱えて歩まなければならない人生との間に、大きな溝を感じたでしょう。
イエス様は「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか、金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がまだ易しい」と言われます。エルサレムの城門のひとつに「針の穴」という門があったと言われます。その門は荷物をおろしたラクダが膝を折ってやっと通ることができるというものです。人は、その門を荷物を背負ったラクダと通る際、その荷をすべて下ろさなければ通ることができないということです。人は、永遠の命を得て神の国に入る際、大切にしてきた人の心を支配するような荷物なのかもしれませんが、神は神の国には必要ないことを教えてくださいます。必要なのは、神を信じるあなた自身です。
救いの門を通してくださるのは、神がしてくださることであって、人ができることでありません。人がすることは、神を信じて、御言葉にしたがって歩むことなのです。