【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2018年8月26日説教要旨
聖書箇所 イザヤ書31:1-9
今立ちかえるべし
瀬戸毅義
1945年(昭和20年)8月15日、「大日本帝国」は崩壊しました(敗戦となりました)。思えば長い戦争中心の生活でした。太平洋戦争がはじまってからあしかけ4年、満州事変がはじまってから15年ぶりにやってきた平和でした。8月5日(日)に、終戦記念日を考えましたが、今朝はその2回目です。わたくしは歴史学や政治学の専門ではありません。一クリスチャンとして日本人としてこの時代を振り返るのです。その際経済学者でありクリスチャンであった矢内原忠雄(1893-1961)の書物から多くを学びました。岩波書店から『矢内原忠雄全集』 (29巻,63~65) が刊行されているので読むことができます。
イザヤの著名な言葉は多くありますが、有名なものに三〇章一五節があります。「まことに、イスラエルの聖なる方、わが主なる神は、こう言われた。『お前たちは、立ち帰って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある。』」
古い聖書の言葉は、二一世紀の現在に至るも真実です。イザヤの言葉が厳粛な事実であることを、戦前の日本の国が、私たちに教えているのではないでしょうか。イザヤが教えた道とは違う反対の道を行ったので、日本は敗戦に至ったのだと思います。
国にとり個人にとり、真の神を知ることほど大切なことはないのです。人はまことの神様がわからなければ、正しい判断、考え方をすることができません。
禍津日神(まがつひのかみ)・直毘神(なおびのかみ)
本居宣長(1730-1801)翁の説に、総ての災禍、悪事、凶事、苦難という風な悪い事は禍津日神(まがつひのかみ)の仕業だ、それに対して善き事は直毘神(なおびのかみ)の仕業であると申して居ります。・・・・神に善き神と悪しき神とがあり、我々の蒙(こうむ)る所の苦しみは悪しき神の仕業であるという思想からは、希望は起って来ないのであります。そこに起こって来るものは諦めである。これは禍津日神が働いているんだから仕方がない、人力をもってしてはどうにも出来ない事だという諦めの考えと、精々この禍津日神の怒りを和げる為に何か御機嫌をとらなければならないという考え以上には出ないのであります。これに反し神はただ一つであって、その神は愛の神である。それ故に私共に善き事を与え給うのも神の愛であり、悪しき事を与えるのも神の愛である。こう考えた時に苦難の中から光明がさして来る。苦難をば全くの暗黒と見ず、苦難の中に光があるという明るい、建設的な、積極的な考えを持つことが出来るのであります。
苦難は禍津日神即ち惡神の仕業であるのでもなく、また偶然的な運命でもない。こういう廻り合わせである、こんな運であるとして諦めるべきものではありません。・・・・
この認識から起って来る一つの結果は、私どもが苦難によって謙遜となること、謙遜となって神の前に悔い改める心を持つことであります。謙遜の反対は傲慢であります。一人よがりである、虚偽である。一人よがりの傲慢虚偽の態度を捨てまして、正しい神の前にへり下り、悔い改めた心を持つことを、私どもは苦難によって学ぶのであります。一例を申せば最近の戦争中、聖戦、即ち神聖な戦いという言葉が、頻(しき)りに叫ばれ、唱えられ、聞かされました。皆さんの中にも、本当にこの戦争は聖戦であるとか考えになった方もありましょう。しかしこの戦争を聖戦と唱えたことは、一人よがりではなかったか、傲慢ではなかったか、虚偽ではなかったかと言うことは、今日すべての日本人の反省すべき点であります。念のため申しますけれども、この十年の戦争の間、詔勅の御言葉として聖戦ということはいまだかって一度も仰せられたことはないのであります。聖戦という言葉は、天皇陛下の御言葉ではなくて、我々を指導して来たところの軍国主義者の作った言葉であったのです。・・・・
これに反し本当に聖(きよ)き神の前に偽りなき、へり下った柔和な心を持つことが、苦難を受けるに際しての正しい態度であるのです。
―1945/昭和20年12月12日、山形市県会議事堂に於ける講演―「日本の運命と使命」。
(矢内原忠雄全集 第19巻、111頁以下)
これは敗戦直後の昭和20年12月のことばでありますが、現在の私どもはこの言葉をどのように受け取るのでしょうか。一見豊かに見える日本ですが、わたしたち日本人は終戦(敗戦)を真剣にみつめて反省しているのでしょうか。そのように思わざるを得ません。
ユダヤ人は、昔バビロニア帝国に滅ぼされ、主要人物は捕囚となり敵国の都バビロンに連行されました。紀元前588年の頃でした。後に彼らは故国に帰還することができました。彼らは苦難の極みにあっても主の恩恵は必ずあり、救いの到来は必至であると信じたのでした。
国にとり個人にとり、まことの神を知ることほど大切なことはないのです。一国の指導者も人もまことの神様がわからなければ、正しい判断、考え方をすることができません。まことの神様を知ることが大切です。いまこそまことの神様に立ち帰らなければなりません。
聖書の言葉
主は、決してあなたをいつまでも捨て置かれはしない。
主の慈しみは深く懲らしめても、また憐れんでくださる。
人の子らを苦しめ悩ますことがあってもそれが御心なのではない。
(哀歌3:31-33)
巴比倫(バビロン)捕囚(ほしゅう)
外邦生活轉悽然
汝堪難忍任人打
可俟主之恩惠全
外邦(とつくに)の生活(せいかつ) 轉(うた)た悽然(せいぜん)たり
汝(なんじ)忍(しの)び難(がた)きを堪(た)え人(ひと)の打(う)つに任(まか)せよ
俟(ま)つ可(べ)し 主之(しゅの)恩恵(おんけい)の全(まった)きを