先週月曜日、韓国からの多国籍伝道チームの9名と私たちの教会から5名とで、地域の伝道に励みました。多国籍の人たちと3,4名のチームを4つ作り、希みが丘の住宅地を手分けして歩きました。私たちは、タイ人の兄弟・韓国人の姉妹・教会の姉妹の4人グループで、住宅を一軒一軒玄関のインターホンを押して回りました。半分位は反応がなく、返事があってもこちらが名乗ると殆どが断られます。歩いている人に声をかけても、大抵の人が逃げ腰です。何か悪いことに誘い込まれることを避けているといった風です。では私たちは無駄なことをしているのでしょうか?
一軒一軒回りながら、断り続けられながら、私たちはしょげていたでしょうか? いいえ、私たちはにこにこしながら伝道に燃えていました。なぜでしょうか? それは神の励ましを受けていたからです。私は伝道する時次のみ言葉に常に励まされます。
「おそるな、語れ、黙すな、われなんじと共にあり、誰も汝を攻めて害う者なからん。この町には多くの我が民あり」(使徒18:9,10 文語訳)。パウロが苦境にあるとき、主がまぼろしの中で語られた言葉です。
希みが丘の町並みは、道も広くとても綺麗です。そして、殆どの家の庭が手入れされていて、花々が咲き誇っていました。タイ兄弟は、その一つ一つに目を止め匂いを嗅ぎ、スマートホンで写真を撮り満面の笑みです。人に会えばその笑みで語りかけます。韓国人の姉妹は、断られても、一軒一軒インターホンの前で祈りを欠かしませんでした。私も教会の姉妹も霊に燃えて喜びに溢れていました。クリスチャンの兄弟姉妹、つまり同労者に励まされ、励ましながらの伝道活動が、かくも喜びあるものなのかを、久しぶりに味わいながらの一日でした。
アテネを去ったパウロはコリントに着きます。同労者たちと離れたパウロは、福音の働きを続けるために、経済的な問題を解決しなければなりませんでした。ちょうどそのような時、神様がアクラとプリスキラに会わせてくださいました。神様が備えてくださっていたのです。彼らは既にイエス様を受け入れていた者で、パウロと同様に天幕を作る仕事をしていました。パウロは天幕づくりとして知られていますが、彼の郷里タルソが山羊の毛の生産地としてよく知られた場所であり、若い時にこの職業を身につけたものと思われます。 このようにしてパウロは彼らの家に住み、一緒に仕事をしながら、福音の働きを続けることができました。また、彼らとの信仰の交わりはパウロにとって大きな力となりました。神様は、私たちのために信仰の同労者を備え、送ってくださいます。同労者とともにお互いの弱い部分を補い合い、強い部分がより強められるとき、さらに大きなみわざが起こるのです。
2015.5.17(第3主日)説教要旨 牧師 岩橋 隆二