【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2020年7月19日説教要旨
聖書箇所 コリント人への第二の手紙4章16~5章10節
共にいてくださる希望
麦野 達一
コロナウイルスの感染拡大は世界中の人の生活に大きな影響を与えました。さらに追い討ちをかけるように、九州を中心に豪雨災害が襲いました。私たちの生活は窮屈さを増し、コロナ禍における避難生活という新たな課題も突きつけられています。その中にあって私たちはどこに希望を見いだすのでしょうか?
神はアブラハムに「私の示す地に行け」という命令を下しますが、その命令には祝福の源となる、という神の約束が伴っていました。そこに希望を見出し、アブラハムは未開の地へと旅立つことができました。では、今の私たちに示されている希望は何かというと、それは救い主が「共におられる」ということではないでしょうか。神は人との関係を求められます。そのために独り子を人間の世界に送り、「共にある」ということを選ばれました。
伝道者パウロはコリントの教会への手紙の中でこう述べます。「だから、私たちは落胆しません。私たちの外なる人が朽ちるとしても、私たちの内なる人は日々新たにされていきます。〜私たちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に存続するからです。」(IIコリント4:16〜18)
パウロは内と外がある人間のあり方を見つめた上で、見えないものにこそ眼を注ぐと言います。何故ならパウロは見えないキリストとの出会いによって人生を変えられたからです。見えないものは時に人に大きな力を与えます。祈りはその手段でしょう。見えない神さまに見えない相手のことを祈るとき、そこに大きな神の力が働きます。
そのように祈ることができるのは、パウロが「人の手で造られたものではない天にある永遠の住まい」(5:1)という目指すべきところを知っていたからです。そしてその目指すべきところはイエス・キリストによって知らされます。そしてそれはイエスを「着ること」(4節)であると言います。信仰者は誰もがこの霊の体であるキリストを身にまとって歩みたいと願います。しかし信仰者の歩みは時として試練に直面します。その試練によって崩れ落ちる経験もするでしょう。自分の中にそれを乗り越える力がないことを知っているパウロはこう語るのです。「私たちをこのことに適う者としてくださったのは、神です。神は、その保証として霊を与えてくださったのです。」(5節)
今私たちの世界は、誰もが経験したことのないような現実に直面しています。世界のリーダーや学者たちでさえ正解を求めることのできない現状で、私たちは神による助け(聖霊)があることを聖書から示されます。そしてこの不安定な世の中にあって「共にいてくださる」お方の存在を知っています。その中で、主に示され主に喜ばれる歩みを求めていきましょう。