【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年7月13日説教要旨
聖書箇所 ローマの信徒への手紙12章15節
共に喜び、共に泣きなさい
原田 寛
ふたりで喜ぶと喜びは倍に、ふたりで悲しみを和立ち会うと悲しみは二分の一に、というようなことが言われていたと思います。
聖書では、主イエス・キリストにあって「喜ぶ」ことを教えてきていますが、「泣きなさい」という言葉はわずかだと思います。ゴルゴタの丘に向かう主イエスに泣きながらついてくる女性たちがあります。イエスは「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな、自分と自分の子どもたちのために泣け。」(ルカ23章26節以下)と言われました。「他人のことより自分自身のことを神によって考えよ」と教えているように思われます。
エレミヤ書9章17節以下で「泣き女」が登場します。イスラエルの中に泣くことを生業とする人たちがあったということです。彼らは、葬送の場などに招かれて泣き、その場を盛り上げたのでしょう。エレミヤ書は、罪深いエルサレムと南ユダ王国が滅びることを示します。泣き女は、その預言に対して泣くのです。エレミヤは、「主は、割礼を受けても、心に割礼のいない人をことごとく罰すると言われる」と語ります。悔い改めのない人々を厳しく罰するという宣言で、エルサレムと南ユダ王国は、滅びることになります。
「共に喜び、共に泣きなさい」は、12章9節以下「キリスト教的生活の規範」の中に表されています。そのひとつひとつにそれぞれ教えられるものです。
このパウロや初代教会が抱えた事柄の中に、「ギリシャ語を話すユダヤ人とヘブライ語を話すユダヤ人との間の問題」「割礼を受けている人たちと割礼を受けていない人たちの問題」「奴隷と自由人の問題」など・・・これらは、多くの人が集まるようになったがゆえに生じてきた問題でしょう。教会は、それらにイエス・キリストの名により向き合いました。その結果、進む道を得、解決を導き出してきたと考えられます。異邦人伝道に取り組むパウロとエルサレム教会の指導者のひとり主の兄弟ヤコブは、律法問題を考えてきた当事者だったと考えられます。その対立は、異邦人キリスト者に対してモーセの律法を遵守させるかどうかという点にありました。教会の決定は、「偶像に奉げた肉と、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いを避けること」でした。しかし、この問題はパウロとユダヤ教との対立に発展していくことになります。結果として、私たちは、パウロの示す「律法による義ではなく信仰による義」を教えられ、イエス・キリストを信じる信仰を義とすることになります。パウロは、ひとりで戦ったわけではありません。3回にわたる伝道旅行で共に歩むようになった多くの人たちは、パウロのために祈っていました。とりわけ、エフェソ教会の長老たちは、パウロのエルサレム上京の際にミレトスというところまで、合うために来てくれました。そこで、パウロは、「投獄と苦難」が待っていることを告げたのです。パウロが思っていた通り、命の危険に遭うようになるのです。そして、その向こう側には投獄されてしまいますが、ローマ伝道・イスパニア伝道が実現するのです。
「共に喜び、共に泣きなさい」とは、イエス・キリストにある歩みの中心にあるような事柄。具体的には「泣く」しかないようなことかもしれません。しかし、共に歩み共に向き合い祈り合い学び合って取り組みなさいということです。