【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2024年4月14日説教要旨
聖書箇所 ヨハネ福音書1章43~51節
出会いから Ⅱ (祈りは聞かれている)
原田 寛
「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる」(ヨハネ14章13節)「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピ4章6-7節)と記されているように、祈りは聞かれるものです。
しかし、わたしたちが祈る祈りは、わたしたちの思いが中心ではないでしょうか。自分自身が物事に触れ、感じ、考え、祈るべき事柄としてとらえて、祈りをささげるわけですから、自分の思いであることは間違いありません。
ヨハネ福音書1章43節以下では、フィリポがナタナエル(「神、与え給う」の意)に「モーセが律法(申命記18章18節)に記し、預言者(イザヤ7章14節)たちも書いている方に出会った。それは、ナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」とおそらくはイエスとの出会いを心から喜んで述べたのでしょう。ナタナエルから返ってきた言葉は、「ナザレから何の良いものがでるだろうか」でした。
ナタナエル自身もガリラヤのカナ出身なのですが、ガリラヤをさげすむ考え方をしています。そんなナタナエルに主イエスは、向き合ってくださいました。ナタナエルが挨拶する前から、イエスはナタナエルについて「見なさい。真のイスラエル人だ。この人には偽りがない」と述べられます。ナタナエルは、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と問います。イエスは、「・・・いちじくの木の下にいるのを見た。」と述べ、ナタナエルは「あなたは神の子です・・・」と応答します。
多くの人々が、メシアを待望していた。ナタナエルもその一人でした。ガリラヤは、ユダヤからは「異邦のガリラヤ」といわれるほどにローマ・ギリシャの影響下にありました。メシアが登場し、異邦の力から解放されることを待ち望んでいたのです。
イチジクの木の下で何を祈っていたのか。その内容は記されていませんが、ナタナエルは、イエスとの出会いにより前言を撤回しただけでなく、イエスを「神の子」と称賛しました。神は、ナタナエルの祈りに報いる形で、この出会いを実現されたのでしょう。主イエスは、さらに展開していきます。「もっと偉大なことを見ることになる。」「天が開け、神の天使たちが人の子の上に上り下りするのをみることになる」と。
これは、ナタナエルが祈っていることが実現するのではなく、神の御旨が成っていくということです。主がナタナエルや弟子たちと共におられることにより、信じる者たちが、見たこともないことを見、経験していくことを示しています。
どのような祈りをささげてまいりましょうか。平和のために、また、災害被災地の被災者のために。多くの人々の救いのために、神の愛と慈しみをもって祈りましょう。主は信じて祈る私たちと共におられます。そして、神の御旨は、行われていくのです。