【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2020年2月2日説教要旨
聖書箇所 使徒行伝 27章18~26節
勇ましかれ
瀬戸 毅義
この記事の頃、パウロは70歳ほどだったと思われる。70歳と云えば「古希」ともいうが、これは杜甫の「人生七十古來稀」の一節 によるもの。我々なら後期高齢者となる前段階であり人生の終活をそろそろ考えるのではないか。しかしパウロはそうではなかった。
ローマへの旅は、紀元59年8月から60年2月——W.ラムゼーによる。パウロは近衛隊の百卒長の指揮の下、囚人としてイタリヤのローマに護送される途中だった。パウロが乗せられた船に,有罪の判決を受けた死刑囚たちもいたであろう。当時,ローマの円型闘技場では,外地から連れてこられたあわれな死刑囚が,闘技士や猛獣を相手に死闘を演じさせられていたのである。囚人の監視人は,ローマから派遣されていたユリアスという百卒長であった。パウロは,そのようなたぐいの囚人ではなかった。上訴中のローマ市民であった。百卒長も彼に好意を抱いたのであろう。
船旅の途中に大嵐に遭遇し生死も危ぶまれることになった。そういう状態が2週間続き、全員が死を覚悟した。27章13節から38節には「我ら章句」(わたしたち)がある。ルカの同行を示すのである。27章は古代の航海術を知る上でも貴重な文書であるという。ここに囚人であったパウロの言葉が残されている。私たちはここにパウロの信仰の真髄を見るのである。
「この際、お勧めする。元気を出しなさい。舟が失われるだけで、あなたがたの中で生命を失うものは、ひとりもいないであろう。」(22節)昨夜、わたしが仕え、また拝んでいる神からの御使が、わたしのそばに立って言った、『パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。たしかに神は、あなたと同船の者を、ことごとくあなたに賜わっている』(23,24節)。「皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じている。われわれは、どこかの島に打ちあげられるに相違ない」(25,26節)。私たちの人生行路の嵐においても神を固く信じなければなりません。お先真っ暗、万事休すの中でも彼に絶望の文字はなかった。
パウロについて書けば、彼は健康そのものではなくむしろ病身であった。彼には持病があったようだ。「わたしの肉体に一つのとげが与えられた」(コリント第二 12:7)。この船旅に医者であったルカが随伴したのは病苦に苦しんだパウロを看護するためと思われる。
病身のパウロが体力以上の大事業を為し終えたのは、自らの力ではなく彼が「強められた人」であったからである。
彼の風采、形恰好(なりかっこう) はどうだったのか。コリント第2 10:10に「人は言う、『彼の手紙は重味があって力強いが、会って見ると外見は弱々しく、話はつまらない』」とある。これはコリント人らのパウロに関する批評の言葉であるが、要するに風采やなり格好はあまりよくなかったらしいのである。
経外典の『パウロ及びテクラの行伝』にも次の様にあるという。
『彼は背低く、禿げ頭にして曲がり脚なれど、骨格逞しく眉毛相接し、鼻はやや曲がり、表情温雅の相に充つ。ある時は人間の如く、ある時は天使の姿の如く見ゆ』。15世紀のニセフオラスは『パウロは身の丈短く、少しく前方にかがみ勝ちであった』と伝えている。(『聖書大辭典』日曜世界社版・増訂、1951年、新教出版社)。
要するに彼は外見に於いては人を威圧するようなものがなく内面の人であった。キリストの姿が彼のうちにあったのであろう。自らの力、力量によらずキリストからいただく恵みと力により伝道したのであろう。以下の彼の言葉によってそのことがよく理解できる。
「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」(ピリピ 4:13)「それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。」(コリント第二 12:10)
それ故に人々は惹かれ信仰へと導かれたのである。
「わたしの肉体にはあなたがたにとって試錬となるものがあったのに、それを卑しめもせず、またきらいもせず、かえってわたしを、神の使かキリスト・イエスかでもあるように、迎えてくれた」(ガラテヤ4:14)。
彼らは、わたしのいのちを救うために、自分の首をさえ差し出してくれたのである。(ローマ16:4)
最初、船の中の人々には、パウロは頼りなく憐れな囚人としか見えなかったであろう。しかし一端、事あるときは皆を励まし、為すべきことまでも教えた。悪戦苦闘の状況に置かれても、パウロにならってキリスト者は、世の塩、地の光としての働きができるのである。