【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年1月5日説教要旨
聖書箇所 フィリピの信徒への手紙1章3~6節
善い業が成し遂げられる
原田 寛
フィリピの信徒たちは、イエス・キリストの救いの恵みに与っている。パウロは、救いたもう主を信じるゆえに、それが喜びだと示します。その善い業を始めた方は、この善い業をキリスト・イエスの日に成し遂げてくださると記します。
「善い業」というのは、イエス・キリストがひとりひとりのために十字架につけられ死なれたことと復活したこと、そして、その主イエスが「自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい」(マタイ16章24節、マルコ8章34節、ルカ9章23節)と言われたことです。
フィリピの信徒たちにはじまっている「善い業」は、パウロたちを支援することだけでなく、福音宣教の業を自ら拡げていくことに関わっています。そして、キリスト・イエスの日、すなわち、終わりの日に、成し遂げてくださると示します。
筑紫野南教会の歩みは、主イエスによってはじまり、2025年を迎えることができました。今年、教会としての歩みがはじまって25年目を迎えようとしています。パウロの祈りに基づいていうなら、善い業を主自ら成し遂げてくださるということでしょう。
「善い業」について、自分のことを振り返ると、主イエス・キリストに愛されているということに気づかされた時に、どうしたら良いのか解りませんでしたが、自分の足で立って応えようと教会に通い続けてきました。聖書を学び、祈り、同じ思いをもった人たちと関わり、求め続けて、そして、今日があるということです。わたしは、間違いなく、キリスト・イエスの日に向かっています。成し遂げられたものがどのようなものか、楽しみです。