【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2022年9月11日説教要旨
第二コリント人への手紙 第11章23節~29節
宣教師―そしてだれもいなくなった
山田 光道
私たちのバプテスト教会の歴史と働きを考える時、宣教師と呼ばれた方々の働きは、とても大きいものです。宣教師の方々は、教会での直接伝道、医療を通しての活動、キリスト教学校を通しての教育活動と多岐にわたる働きをなしてこられました。特に第二次世界大戦後においては、その働きは活発化しました。長年教会に関わっておられる方々は、何らかの形で、宣教師の方々との関わり、影響をうけられたことでしょう。
今朝の招詞コリント二4:1~5は、宣教師の精神を述べているところでもあります。特に5節「しかし私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるイエス・キリストを宣べ伝える。私たち自身は、ただイエスのために働くあなたがたの僕にすぎない。」このみ言葉に支えられて宣教師は、言語や文化や社会の違いを身に受けながら神にその生涯を託した人たちでした。
また取り上げました主題聖句は、キリスト教史上最初の「宣教師」と呼んでも差し支えないパウロという人物が行った伝道の旅の様子が描かれています。キリストの福音伝道にその生涯の後半をかけたパウロの伝道の旅が、いかに困難なものであるかをドラマティックに示しているところでもあります。そして具体的なかん難だけではなく、パウロという人が、人にキリストの福音を宣べ伝える際の人々との深い関係性が「なお、いろいろの事があった他に、日々わたしに迫って来る教会の諸教会の心配ごとがある。だれかが弱っているのに、わたしが弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。」(28節、29節)と述懐しているように、自分自身のこととしてとらえられています。
キリストをその福音を知るということは、私たちが宣教師を知るには具体的な人格とその活動を通して知るように、信仰の先達者をはじめとして、皆さんにとっての信仰の導き手を通して知ることでもあります。きっと皆さんには、そのような具体的な人物がおありになることでしょう。この機会にもう一度そのことを思い起こしてくださるとさいわいです。