【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2023年11月19日説教要旨
聖書箇所 マルコによる福音書 5章21~24節、35~43節
少女よ起きなさい
片山 寛
ずっと前、キリスト教徒ではない友人から、君は奇跡を信じているのか、と訊かれたことがあります。君はクリスチャンで、しかも牧師でもあるんだから、当然奇跡は信じているんだろう?
私が「そうだ」と答えると、友人はさらにたたみかけて、「ではどういう具合に信じているのか」と訊くのです。たとえばイエス様が海の上を歩かれたとか、あるいはここにありますように、死んだ女の子が生き返るとかいうことを、まともな人間が信じているとは、いったいどういうことなのか。クリスチャンは本気でそういうことを信じているのか。それとも何か信じるふりをしているだけなのか。
私はそういう時、答えに困ります。奇跡というのは、信じられないようなことが起るから奇跡なのだ、と心の中で思います。しかし彼の問いもよくわかるのです。アメリカの小噺で、次のようなのがあります。
あるアメリカ南部の町で、もう長い間、雨がぜんぜん降らなくて大変困っていた。そこで町の住民がみんな教会に集まって、雨乞いの礼拝をすることになった。
どうか雨を降らせてください、と熱心に神さまにお祈りしていると、牧師さんが講壇に上がって、大変怒って言った。あなたがたは皆、不信仰だ。見なさい、誰ひとり傘を持って来てないじゃないか。
だから、私の友人の問いは、言い直してみると、もし奇跡をほんとうに信じるのだったら、お前は病気になったときにお祈りで治すのか、お医者には行かないのか、ということです。奇跡を信じるとは、いったいどういうことなのでしょうか。