【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2023年12月31日説教要旨
聖書箇所 ルカによる福音書6:20~21
幸いなるかな!
才藤千津子
2023年は、皆さんにとってどのような年だったでしょうか。嬉しい出来事があった方もおられるでしょうし、苦しいことが多い一年だったという感慨を持たれている方もおられるでしょう。世界に目を向けますと、数年続いたコロナ危機がようやく一段落しましたが、今年はロシア=ウクライナ戦争に加えてパレスチナ・ガザでの紛争が起こり、多くの一般市民、特に子どもたちの命が失われるという深刻な事態が起こっています。多くの人が、漠然とした将来への不安や焦燥感を感じているのではないでしょうか。そして、そんな中で、あらためて幸せとは何かを考えたという人たちもおられるのではないでしょうか。
西南学院には西南コミュニティカレッジという一般の方々向けの公開講座があります。最近の講座の一つに、「『幸せ』って何だろう?~ウェルビーイングな生き方を探求する~」というテーマの連続講座があり、私も「キリスト教とウエルビーイング」というタイトルでお話しをしました。
ウエルビーイングとは、身体的、精神的、社会的に良好な、満たされた状態であり、「健康」と「幸せ」と「福祉」のすべてを包む概念だと言われます。高度経済成長期、多くの日本人は、社会が豊かになれば幸せになれると考えていました。ところが、ある程度までは経済的な条件が上がるにつれて幸せ感は伸びていきましたが、1980年代半ばごろから、一人あたりのGDP、物質的豊かさは上がってゆくのに、生活満足度は下がっていったと言われます。資本主義社会の弊害が次第に明らかになって行ったのです。最近、「幸福」というテーマへの関心が高まり、「ウエルビーイング」という言葉が注目されるようになった背景には、「モノの豊かさ(経済成長)から心の豊かさ(心の成長)へ」という時代の要請があるのです。
ところで、聖書は、「幸せ」とはどのようなものだと言っているでしょうか。ルカによる福音書6:20〜21には、有名なイエスの言葉があります。
「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は、幸いである。あなたがたは満たされる。
今、泣いている人々は、幸いである。あなたがたは笑うようになる。」
イエスは「今」、貧しく、飢えており、苦しめられている人々、悲しんでいる人々こそ神の国を受けることが約束されている人々であるから幸いであると宣言しました。これは、通常の価値観の逆転です。これはどういうことなのでしょうか。今朝は、イエスの語る幸せについて、皆さんと共に考えていきたいと思います。