今日の聖書の箇所ルカ1章20節「時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたは口がきけなくなり、この事が起る日まで、ものが言えなくなる」。「口がきけなくなり、・・・・ものが言えなくなる」、この言葉に注目したいと思います。
これは、子供がいない年老いた祭司ザカリヤに天使が臨み、子供が授けられると告げられたことに対して、それは無理ですと、神の言葉を信じないザカリヤに神から告げられた言葉です。ザカリヤが天使から「沈黙」を強いられることになったのは、単に不信への「裁き」のしるしだけではなく、深い意味があったのです。それは沈黙させられることによって、この期間のザカリヤは、愚痴や不信の言葉をこぼすことなく、ひたすら神の業とその意味を、「心に納め、思い巡らす」ことに費やすことが、図らずも出来たのです。
日本基督教団で永く牧師を務められ23年前に亡くなられた岸本羊一という方が書かれた『葬りを越えて』という本の中に次のような一節があります。
「いろいろな出来事で苦しんでいる時に、人はよく『ものは考え様だ。少し考え方を変えたら解かるんじゃないかな』といいます。私は間違いだと思います。考えが変わったとて、いささか一時の気休め程度はあるかもしれないが、考えなんか変える必要はないのです。黙ってしまえば良いのです。神の御業の前に取り込まれて、黙ってしまえば良いのです。黙っているよりしょうがない。これこそが宗教です」。
「沈黙」の反対語・対義語は何でしょうか。調べてみましたところ、雄弁、発言、饒舌、騒然といった言葉がありました。皆さん、これらの言葉、どれもが現代の日本社会の騒々しさを見事に表していると思いませんか? 国民の信頼を失った多くの政治家たちや色んな分野の多くの評論家たちの、そして情報社会を代表するテレビ番組の多くが、雄弁で饒舌、突出した発言、そして決定的に騒がしさがあります。
現代人はあまりにも多忙です。次々にすることがあります。日本人の殆どの人が息つく暇がないくらいせかせかと人生を送っているように思えます。電車の中では多くの人がスマートフォンに夢中です。現代社会に振り回されている観がします。忙しいという忙の字は、心が滅びると書かれています。
ハバクク書2章20節「主はその聖なる宮にいます。全地はそのみ前に沈黙せよ」。
審判の主なる神の前に、全地は黙せよと叱責されています。これは「口をつぐめ」という意味であり、神の厳粛なさばきに対して、人が口をさしはさむべきでないことを示しています。あまりにも騒々しいこの現代の日本社会には、偶像が蔓延しています。私たちは少しでも油断をすると世の騒々しさに飲み込まれ、偶像の餌食になりかねません。日々、意図して神様の前に静まり、共にとりなし祈りつつ主イエス・キリストの御声に聴き従ってまいりたいと願います。
2014.12.7 説教要旨牧師 岩橋隆二