聖書箇所:創世記26:15~25
来年は戦争が終わって70年になります。戦争の風化が進んでいます。戦争を体験した人は少なくなり、戦後の平和しか知らない世代が大半を占めるようになっています。世界で6,200万人、日本人だけでも350万人もの犠牲者を出し、6年間にも及んだ第二次世界大戦の記憶は年月とともに薄れ、私たちの国は、再び恐ろしい戦争を起こしかねない国になろうとしています。戦争は、どんな理由であっても絶対に行ってはなりません。
アブラハムは、主の呼びかけに応えて生まれ故郷を出発し、約束の地を目指しました。一方で、その息子イサクは、主から「約束の地に留まる」ように命じられます。
イサクの住んでいる地方はひどい飢饉になりました。そのとき、神さまがイサクに語りかけてこられたのです。イサクは神さまの言葉に聞き従って、ゲラルの土地にとどまりました。その地域は、当時ペリシテ人の王アビメレクの支配下にありました。 イサクは、主の祝福を受けていることによって豊かになり、家畜が増え、召し使いも増えていきます。次第にペリシテ人は、栄えていくイサクにねたみの感情を持つようになりました。彼らは、イサクをその地方に住めなくさせるために、アブラハムの時代に掘った井戸を次々と埋めてしまいます。居留の民にとって井戸は、まさに「命」を意味します。遊牧民がそこに留まるためには、生きていくための水が必要です。アブラハムが命がけで掘ったその大事な井戸を、ペリシテ人は壊していったのです。井戸を巡るこの紛争は、アビメレク王がイサクにゲラルから出て行くよう申し入れるまでになり、関係はますます悪化していきます。これはイサク個人の争いの事柄ではなく、イサクはその部族の長であり代表を表しており、部族・民族間の争いでした。
イサク部族は、かなり強い勢力を持つようになっていましたが、族長であるイサクは武力によって、その紛争を解決しようとしませんでした。イサクはゲラルの谷あいに移住します。そこでアブラハムが掘った井戸を掘り直し、その井戸に以前と同じ名前をつけます。父アブラハムがつけたのと同じ名前を井戸につけるのは、父から受け継いだ所有権を主張する意味がありました。すると、すぐに地元の羊飼いとの争いになります。生活水のために井戸を確保することは、その土地に定住するために重大であると同時に、周辺地域の占有権に直接関わる事柄でした。 それゆえに、移住者(よそ者)と見られたイサクにとっては、井戸に名前をつけるのは、その地で生きるために必要不可欠な行為となりました。邪魔されても邪魔されても、命をつなぐためにイサクは井戸を掘り直し続けたのです。
ペリシテ人の敵意に対して、次の井戸へと移っていくイサクの姿は、一見、譲歩を重ねた人のようにも見えます。しかし、不条理に甘んじ、無抵抗で平和を実現しようとしたのではありません。悪意に対して、悪意をもって立ち向かうのではなく、忍耐して井戸を掘り、黙々と「生きる権利」を示すことによって、彼はこの空気に抵抗し勝利を得たのです。相手を傷つけることなくこの「闘い」に勝利したのです。
2014.8.17説教要旨 牧師 岩橋隆二