【説教音声ファイル】
2022年1月23日説教要旨
聖書箇所 ルカ福音書13章1節~9節
悔い改めよ
梅木 光男
本日の聖書箇所は12章の記事の続きで「我々が神に対してどういう態度をとるか、また神が我々に対してどんな態度をとられるのか」というテーマで、その中で神の厳格な裁きとしての「裁判官の姿」とここでの農園を守る「園丁」を対比しています。
13章の冒頭でピラトがエレサレム神殿でガリラヤの民を虐殺した事件とシロアムの塔が倒れて18名の民衆が死亡した事件に言及されています。当時の人々にとってこうした悲惨な事件や災いに遭遇すると、被害者それぞれが持っている「罪」の為いわば「因果応報」という考え方に囚われていたのに対し、主イエスは誰でも悔い改めなければすべて滅びるという裁きを免れることは出来ないと教えられたのです。
その具体的なものとして「いちじくの木と地主」の例えが紹介されています。ここのいちじくの木はイスラエルの民であり我々の姿です。神様の目からすれば豊かな実を期待していたのに、何年経っても何ら収穫のない邪魔な存在なった木はもはや切り倒す対象そのものです。
地主は何年も手入れをして愛情込めて肥料をやっても実を結ぶことは無く、それでも毎年期待して収穫の時を待っていたが、ついに匙を投げて処分しようと考えたのです。
しかしここで農園を管理する園丁が「もう1年待ってください。肥料をやってきっと実を結ぶようにしますから」と哀願に近い訴えを行うのです。
ここに主イエスの使命が彷彿されます。主イエスの十字架の意味つまり主イエスの命と引き換えにいちじくの木(我々)の罪から解放させて主イエスを信じる信仰へと導くことにより、神の国で豊かに実を結ぶ喜びに満たされるのです。十字架の主イエスが我々の傍らで悔い改めるのを辛抱強く愛し待っておられることが、我々の希望であり平安なのです。