「新年の門出」聖書 ヨシュア記 1章:1節~9 節
昔から人間は自己の運命について二つの見解を持っています。一つは人間は自由にその生涯を自己の努力を持って望むがままに築き上げることが出来るとの考えです。他方はそれとは正反対に、人間は如何ほど奮闘努力に務めても、人間はある定められた力の下に在って定められた計画に従うのであり一歩もそこから外に出ることは出来ないとの考えです。前者は自由意志を強調するものであり、後者は宿命を説くものである。前者はアルミニウス主義 (Arminianism )、アルメニアン神学となり後者はカルビニズム(Calvinnism )、カルバン神学となりました。二つの考えにはそれぞれ意味がありどちらか一方を正とし他方は誤りであるとすることは出来ません。
聖書に拠って問題を考えてみましょう。神はイスラエル民族に土地を与えられました。しかしそれを獲得するか否かはイスラエル民族の民族の責任なのです。恩恵の贈り物(Gabe) は神から与えられるものですが、人から言えば同時にそれは努力し獲得すべき課題・任務(Aufgabe) でもあります。「棚から牡丹餅」のようではありません。これが聖書の見方だと言えるでしょう。
ヨシュア記は、このことを次の聖句によって述べています。
「宿営のなかを巡って民に命じて言いなさい、『糧食の備えをしなさい。三日のうちに、あなたがたはこのヨルダンを渡って、あなたがたの神、主があなたがたに与えて獲させようとされる地を獲るために、進み行かなければならないからである』」。(1章11節)
あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう。(1章3節)
2018年の年は始まりました。皆さんは神様からどんな恵みをいただかれましたか。みなさんはどんな抱負・希望・計画をあたえられましたか。それらはみなさんに神が与えてくださった恵みです。いただいた恵みが実現されるように努めるのは私たちの課題です。
ヨシュアはこう励ましました。「ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する」。(1:7)
新約聖書のイエス・キリストの言葉を忘れないようにしましょう。「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。」(マタイ7:24-25)。我々の生涯の土台をイエス・キリストに置きましょう。艱難・辛苦が襲ってきても打ち勝つことが出来るからです。
うろたえてはなりません。おののいてはなりません。私たちがどこに行こうとも、私たちの神、主は共におられます。(ヨシュア1:9)
聖書の言葉
沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や、悪だくみをする者のことでいら立つな。(詩37:7)
主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。(詩37:23) 2018/1/7(瀬戸)