【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年3月30日説教要旨
聖書箇所 ルカによる福音書22章7~13節
最期の晩餐へ
原田 寛
イエス・キリストは、十字架に着けられる前日夜、弟子たちと「過越の食事」をするために、場所を用意させました。ユダヤ教において「過越の食事」は、「新年とイスラエル国家誕生を記念するお祝いの食事」です。ユダヤ教の暦で第一の月「ニサン」の14日目に行います。15日目から21日目まで「種なしのパンの祭」を行います。
過越の祭は、モーセとイスラエルの民が奴隷の地エジプトを脱出したことに由来します。当時のエジプトの王は、奴隷としてのイスラエルの民をなかなか解放しませんでした。そんなエジプトに対して神は、人と家畜のすべての初子を打ち殺すという裁きを下しました。エジプトにいるすべての家が対象となります。モーセとイスラエルに対して神は、この裁きから過ぎ越させました。その方法は、二本の柱と鴨居に傷のない1歳の雄羊の血を塗るということでした。エジプトでは、すべての初子を失いますが、イスラエルの人々には何の問題もありませんでした。王は、イスラエルを解放しますが、しかし、三日目にその判断を翻し、軍隊と共にモーセとイスラエルを追います。そして、神は紅海をふたつにわって、乾いたところをイスラエルに進ませます。けれども、追ってきたエジプト軍が差し掛かった時、紅海は元の海に戻り海の中に残されたのです。
現在行われている過越しの祭を祝う食事は、このエジプト解放からパレスチナの地にいたるまでの期間を忘れないようにメニューと順序が定められた食事になっているとのことです。小羊の肉は、神の裁きの過ぎ越し、イースト菌の入っていないパンは、エジプト脱出の際にパンの発酵を待つことができなかったことを指し、苦菜は40年にわたる荒野の苦しい旅を表しています。4杯のワインを飲みます。最初は「感謝の杯」そして「喜びの杯」次に「贖いの杯」次に「聖別の杯」です。
イエスと弟子たちが味わった「過越の食事」は、単に過去の救いの出来事を示す記念の食事というものではありませんでした。繰り返し示される過去の恵みや愛する弟子たちとの最後の食事としての「最後の晩餐」でした。聖書は、この食事を「最後の晩餐」とはだれもどこにも記していません。主イエスは、神の国で「過越の食事」を共にすると言っておられました。
主イエス・キリストは、この「過越の食事」においてご自身による救いを『主の晩餐』式として制定されました。受難節とイースターの最も大切なことのひとつとして与えられているのが『主の晩餐』なのです。
「過越の食事」の場所を用意しに行ったのは、ペトロとヨハネでした。どのような気持ちで用意したのでしょうか。主イエスは、ご自身に託されている意味を確かにもって向き合われたのです。