【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2018年5月6日説教要旨
聖書箇所 エゼキエル書 37:1~14
『枯れた骨の谷の幻』 瀬戸毅義
エゼキエルは、今からおよそ2千6百年も前に召命を受けました。彼が捕囚の地のバビロニヤに捕え移されたのは25歳の頃だったようです。青年時代の多感な時です。イスラエル民族は独立を失いバビロニヤ帝国の統治下に置かれました。『我々の背きと過ちは我々の上にあり、我々はやせ衰える。どうして生きることができようか』とは、彼らの実情でした(33:10)。
この民族の一大危機に際して、人々の間に三つの考えがありました。
①信仰は無益である、神を信じてもつまらない。(エゼキエル33:17。イザヤ49:4)
②自分たちの信じる神ヤーウエは、バビロンやエジプトの神々より弱いのだ。敗北はそのためだ(エゼキエル8:10、12、16。20:32。エレミヤ44:18)。
③先祖の罪のためにこのような不幸に遭遇した。自分たちになすすべはない。(哀歌5:7)
エゼキエル書の極めて優れた教えは、個人の責任ということです。「イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」(18:31、32)。
彼の言葉は捕囚の地に呻吟する人々を立たたせた激励となりました。しかしエゼキエルは民全体が悔い改めてヤーウエに帰る日が来ることには、確信が持てませんでした。
そこで神は次の言葉を下さいました。「わたしは、イスラエルの家がその行った先の国々で汚したわが聖なる名を惜しんだ。それゆえ、イスラエルの家に言いなさい。主なる神はこう言われる。イスラエルの家よ、わたしはお前たちのためではなく、お前たちが行った先の国々で汚したわが聖なる名のために行う」。(36:21-22)
「わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える」(36:25-26)。「聖き名のため」とはエゼキエル書全体の鍵語です(渡辺善太)。
このように教えられてもまだ、彼には人々に語る確信が充分に備わっていませんでした。頭では理解できても、民の堕落を見その現状を見ると、どうしても疑惑の心が湧くのです。 そこで、神が彼に与えて下さったのが枯骨の谷の幻でした。「主は言われた。『人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る』。(37:3-5)ここに彼は神の一大奇跡を見せられました。今やエゼキエルはイスラエルの回復を確信して述べることが出来ました。