【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2018年7月15日説教要旨
聖書 ヨハネ 2:1-11
水汲みのしもべ
瀬戸毅義
これはオウム事件のある実行犯の悔いの言葉です。聖書に「罪の支払う報酬は死である」(ローマ6:23)とあります。人には人生に大きな影響を与える最初の出会いがあります。もし彼が若き日に「わたしは道であり、真理であり、命である」といわれるイエス・キリストに出会っていたら、と思わずにはおられません。今朝読まれた聖書の箇所をごらんなさい。
水がどのようにしてぶどう酒に変わったのか。問うことはやめましょう。それは無益なことです。水は水素と酸素の化合物です。ぶどう酒には、アルコールという炭素物、糖分、脂肪があります。窒素物もあります。どうしたら水素を、炭素窒素に変えることができるのでしょうか。それは、化学の法則に逆らうことです。人はこれをあり得ない事柄、迷信的信仰の産物としてあざ笑うでしょう。しかし、科学は進歩します。水素を変えて炭素とする方法は発見出来ないと、断言できません。
要点は、味の無い水が、たちまち甘味のあるぶどう酒にかわったという事実です。世話役は喜びました。婚礼の客はそれを味わい喜びました。花嫁と花婿の本家は、大切な結婚式でぶどう酒が足りないという恥をまぬかれました。招待された客も全員よろこびました。大きな慈善的奇跡をキリストはなさいました。(内村鑑三『聖書の研究』明治34/1901年)
人々は、ぶどう酒をおいしくいただき、それを誉めました。しかしそれがどこから来たのか知りませんでした。水を汲んだ僕だけは知っていました。キリストに直ちに従う人はキリストの偉大さがわかります。従わない人は、キリストの偉大さが分かりません。水汲みのしもべの仕事は平凡です。しもべは結婚の祝宴の主賓でもゲストでもありません。しかし、一番恵まれたのではないでしょうか。キリストの言葉に従う人は幸いです。水はありふれたもの、平凡なものです。しかし無くてはならないものです。キリストはたくさんの無味の水を、たちまち味のある濃いぶどう酒に変えてくださいました。
普通の人の日常生活は平凡なものです。そういう私たちの生活を、キリストは音楽とも芸術とも詩歌とも豊かに変えて下さいます。神の子イエスは、私たちの平凡な生活に意味を与え、豊かに祝してくださいます。