【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年8月17日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書7章7~8節
求めなさい、そうすれば
原田 寛
「求めなさい、そうすれば与えられる。探しなさい、そうすれば見つかる。門をたたきなさい、そうすれば開かれる。」と示されています。この御言葉のもっている豊かな意味を何も知らない多くの人々は、「神はいないので、このような求めに応じるはずがない」と、このような言葉を信じるのは浅はかなことだと断じます。また、信仰者が「わたしは求めた。そうしたら、与えられた」と証しすると、信じられない人たちは、「都合のよいことを、あのように話す」と打ち消します。信じられない人たちが何と言おうが、どのように考えようが、この御言葉は、昔も今も、主イエスの福音として語られ続けます。
神は、天地創造の神であり、愛する者たちと神の熱情(出エジプト20章5節)をもって共にいてくださる方です。その方は、共にいる者たちの求めることを知らないはずがありませんし、必要なものを用意して与えてくださらないはずがないのです。私たちは、求めることにより、神を信頼する機会を得、神の恵みに預かるチャンスに恵まれています。
8月は、私たちの国の戦争の歴史を受け止めつつ、平和について考えさせられ、祈らされています。日本は、1941年12月に太平洋戦争をはじめました。その始めたことにより、多くの苦しみを経験するに至りました。私たちは、その経験を踏まえて、「二度と戦争をしてはいけない」との結論を得たのです。そして、私たちは、その思いから、神様に、進行中の戦争を止めさせてほしいと求めています。しかし、戦争は、なかなか終わりません。他国の事柄だから、聴かれないのかと思いつつ、戦時下で傷つけられる弱い立場の人々のことを思うと、祈らざるを得ません。また、それでも、「求めよ」といわれているのだから、求めています。
私は、戦争を開始した事柄を正当化する支配者について、どうにかならないのだろうかと良く思います。そんな私に、マタイ7章1節以下の御言葉が目に飛び込んできました。5節に「偽善者よ、まず自分の目の丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになり、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる」と御言葉に出会いました。求めていることについて、乗り越えなければならない課題や取り除かなければならない問題があると教えられます。私の問題は、できることがあるにも関わらず手を付けようとしていないことがあるのではないかと。
キリスト教会の過去においては「戦争の騒ぎや戦争の噂を聞くだろうが慌てないように・・・民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。・・・すべて生みの苦しみの始まりである。・・・多くの人の愛が冷える」(マタイ24章6~12節)と記されています。この箇所などを用いて、キリスト教会にも分断がありました。第二次世界大戦というたいへんな時代を経ておりますが、世の終わりはきていません。
御言葉は、「求めよ、そうすれば与えられる・・・」のですが、神は、私たちが求めていることとは別のことを用意されたり、見出したいと願っていることとは別のことで満足させてくださったり、自分にふさわしい別の門が開かれることがあるのです。
しかし、神の御旨が行われるとき、その神の恵みに触れるわたしたちは、心に大きな喜びをいだくことになるのです。それは、まさに神の国の恵みです。