【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2024年6月23日説教要旨
聖書箇所 ヨハネによる福音書13章1~10、14節
洗い合いなさい
原田 寛
少子高齢社会、多発する自然災害・異常気象、国内外で進む分断と新たな東西問題。現代社会の課題を取り上げるとこのような言葉が浮かび上がってきます。これらのことは、我が国の事柄のみならず、先進諸国がかかえる深刻な課題といえると思います。これらのことは、だれひとり、「関係ない」と言えるようなものではなく、特に若い人たちには、社会的責任が大きく背負わされていると思いますし、深刻化しているところもあるのではないかと思います。
神学校週間を迎えたキリスト教会においても、祈るべき課題を提供しているのではないでしょうか。いったい、ひとりの若い献身者に対して、何を得させようとしているのでしょうか。彼らの人生は、どのようなものなのでしょうか。
わたしは、キリスト教会がイエス・キリストへの信仰と希望と、そして、その信仰と希望を土台にした喜びを表し続けることが重要だと考えています。今朝は、「洗足」のイエスとペトロとの三つのキーワードから考えていきましょう。
7節「今はわからなくても、後で分かるようになる」
・・・何がわかるのでしょうか。それは、罪から救いをもたらしている神の愛です。イエスの十字架の死の意味を教え、すべての人に対して与えられていることです。
8節「洗わないなら何の関係もなくなる」
・・・イエスと向き合い、イエスの十字架の死と復活の恵みにあずかっている。洗わないは、向きあわないということでしょう。
10節「足の他、洗う必要はない」
・・・足を洗うことは、日常の事柄。イエスは、信じる者たちの日常に向き合い、支えてくださっている。
そして、もうひとつ、「あなたがたも互いに足を洗い合うべきである」
「洗う」・・・汚れを落とす、汚れを清める。それは、気持ちの良いことであると同時に喜びです。洗う人は、洗うためには、相手の人としっかりと向き合い、汚れているところに触れていかなければなりません。洗われる人も、相手の人を信頼し自分自身を現わしてきれいにしてもらうのです。それをお互いにするということは、事柄を共有するということであり、喜びが二倍になるということです。
イエスに愛されている喜びが、倍化するということですね。
神学校週間の祈りの事柄が、この喜びと結びついていくことが重要です。信仰と希望を土台にして進めていきましょう。