【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年2月23日説教要旨
聖書箇所 フィリピの信徒への手紙4章4~7節
真の神があなたの傍らに
原田 寛
パウロは、「主において喜びなさい」と勧めます。その理由は、主が近くにおられるからです。近くというのは、言い換えれば「共におられる」ということです。真の神があなたの傍らに共にいてくださるので、喜びなさいということです。
「思い煩う」というのは、「くよくよする」「悩む」こと。いわば、精神的に思いつめたりするようなことを指していわれています。「思い煩い」は、人の心を支配します。主が近くにおられるということは、常に「思い煩い」を知っていただく機会に恵まれているということです。記されている通り、私たちは、思い煩いを自分だけで抱えるのではなく、近くにいます主に打ち明けましょう。
パウロは、Ⅱコリント11章23節以下「キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことも・・・」と記しています。パウロ自身は、何度も何度も出会った「試練」を乗り超えてきたし、現在進行形で「投獄」され、そのストレスの中にあるということです。そんなパウロが、かつてフィリピで投獄された時(使徒16章16節以下)の様に、感謝と讃美と祈りの時を通じて、「人知を超える神の平和」が自分の心と考えが守られてきたのです。
今日、「投獄・監禁」することを通して社会的に更生することが求めます。パウロの時代も審判を下した内容(例えば、使徒4章18節の「伝道禁止命令」)にそって、更生するよう求められたでしょう。しかし、パウロは、何をされようがイエス・キリストによって受けてきた使命を変えることなく、目標目指して走り続けているのです。
それは、パウロが「人知を超える神の平和」を得ているからです。真の神が与えてくださる恵みを常に覚えているからにほか有りません。人の思いがどうであれ、社会の方針がどうであれ、真の神の事柄を何ひとつ変える必要はないのです。「本国は天にある」というパウロは、十字架につけられた主イエスを思いつつ歩み、主イエスを通して表された神の恵みに対し心を込めて感謝し、祈りと願いをささげるのです。
現代は、思ってもみないようなことが「いやがらせ」と取られることがある時代です。「いやがらせ」を受けることがあるように、思いがけず与えてしまうことがあるかもしれないのです。そのような事柄に対して一喜一憂するのでなく、真の神があなたの傍らに「常に」おられることを覚えておきましょう。為すべきことが与えられるでしょう。