【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2026年2月22日説教要旨
聖書箇所 コリントの信徒への手紙一 12章1~11節
神からいただいている力
原田 寛
賜物にはいろいろあるが、それをお与えになるのは「同じ霊」である。働きにはいろいろあるが、すべてのことをなさるのは同じ神である。ひとりひとりに霊の働きが現れるのは、全体の益となるためと記されています。
「賜物」は、ギリシャ語で「カリスマ」です。カリスマについて一般的には、人並外れた能力やリーダーシップをもつ人のことを指しています。たとえば、「カリスマ××」とか「~のカリスマ」という事がありますが、新約聖書では、神からの恵みとか恩恵、恩寵という意味で語られます。キリスト教会においては、教会において突出した力をもっていると考えられた人をカリスマがあると言ってきたと思います。韓国のペンテコステ派のある牧師は、ソウルの中心地に教会を建て1981年には20万人を超え、その後も成長していたということでした。彼は、癒しの賜物を持っていたと言われ、多くの人が癒しによって回復を得たといわれています。
パウロは、カリスマを教会の事柄において説明しています。「賜物」は、霊によって与えられているのです。そして、その霊の働きには、いろいろあります。知恵の言葉、知識の言葉、信仰、病気を癒す力、奇跡を行う力、預言する力、霊を見分ける力、異言を語る力、異言を解く力などがあるということです。それらは、全体の益となるように働くということです。霊は、霊の望むままにひとりひとりに与えているというのが、この箇所です。
つまり、信じる者に、「賜物」は与えられているということですし、その「賜物」によって全体が益となるというのです。自分には何も与えられていないと思う人がいるのかもしれませんが、聖書的にいうと、そのようなことはなく、すでに与えられた賜物により、みな、奉仕して、全体の益になることを実現しているという事です。
この時代、聖書のことばや福音に心を閉ざしている人が多くなっています。聖書は、世の終わりが近づくと多くの人が惑わされると預言していますから、預言の通りにそのようになってきていると思われます。しかし、その世の中に向かっていく私たち一人一人は、霊によっていただいている賜物を用いていきたいと思うのです。そして、そのそれぞれの場面において祈りを必要とすることでしょう。だれもが、願いを持ち、希望を抱いて歩んでいます。そして、失敗やつまずきは、良く起こることです。信仰あるものとしての振る舞いが私たちに求められているということですし、主は共におられますから、導かれて何かの成果を上げていくでしょう。その証は、教会の益になることでしょう。
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