【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2022年5月15日説教要旨
聖書箇所 ヨハネによる福音書 2章1~11節
神による祝福の人生
宝田 豊 宣教師
今回の聖書の箇所は、カナの婚礼として知られている箇所です。
イスラエルの婚礼において葡萄酒は欠かせないもので、婚礼の途中で葡萄酒がなくなるなどということは、到底受け入れられることではありませんでした。
そして、マリヤはこの問題の解決をイエスに委ねました。すると、イエスは、そこにあった六つの水がめに水を縁まで入れさせ料理頭のところへ持っていかせたのです。運ばれてきた水を味わった料理頭は、花婿を呼んで言いました。
「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。(10節)
この言葉を聞いて花婿はどんなにか驚いたことではないでしょうか。イエスに問題を任せることで、この結婚式は大きな祝福を得ることとなったのです。ぶどう酒が途中でなくなるという出来事は、世間的には大きな問題でした。しかし、今回は、このことが祝福を得る要因となったのです。それは、問題の解決をイエスにお願いしたからこそ、迎えることが出来た結末であることを忘れてはなりません。
わたしたちの生活は順風満帆ではありえないことを誰もが知っています。人生は計画通りには行かないものです。突如やって来る不幸な出来事によってこれまでの生活が一変してしまう恐れがあります。どんな幸せな生活も、会社の倒産や突然の解雇、また事故や怪我、あるいは病気などによって人生のどん底に落とされることもあります。今、ウクライナで起こっていることなども、人々にとっては到底予測も出来なかった悲劇であったに違いありません。そして、誰もこの現実から逃れることは出来ないのです。
しかし、イエス・キリストは、苦しみや悲しみの人生をも喜びに変えることの出来るお方であることが語られています。このイエスを信じて歩む人には、先がどうなるかは分からない状況の中でも、希望を失うことがありません。信仰に基づいた人生は、辛い出来事をも祝福として受け止め、そこに絶望ではなく希望を抱くことが出来るのです。なぜなら、信仰者によって、問題との遭遇は、わたしたちの心を更に神に向けさせ、神の存在をより身近に感じさせて下さるからです。パウロは言っています。
「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」。(ローマ書5章3-5節)
イエス・キリストを信じる人にとっては、苦しい状況に追い込まれた時も、その中で喜びを抱くことが出来るのです。なぜなら、どんな時も神は、信頼する者を見捨てないことを知っているからです。また、この神は、いつも神を信頼する者と共にいて、その人の人生を勝利ある未来へとつなげて下さることを確信しているからです。神は、わたしたちの人生に先立って、人生を導いて下さると約束してくださっているのです。
「主はみずからあなたに先立って行き、またあなたと共におり、あなたを見放さず、見捨てられないであろう。恐れてはならない、おののいてはならない」。(申命記31:8)