【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年8月31日説教要旨
聖書箇所 エレミヤ書18章1~17節
神の御手の内なる
原田 寛
預言者エレミヤは、南ユダ王国の滅亡期(ヨシヤによる宗教改革の時代からエルサレムの陥落・バビロン捕囚、エレミヤのエジプト脱出)に活動した預言者です。このエレミヤについて、キリスト教大辞典では、「エレミヤは、若い時に神の召命を受け、国歩艱難の折、和平派と主戦派とが抗争する複雑な政治情勢の中にあって、徹底した降伏主義による国家の保持を唱え、時の権力から売国奴として過酷な弾圧を受けた」と記しています。
エレミヤは、神から「イスラエルは陶工の手中にある粘土である」ことを民に示し、「悪の道から立ち帰り、お前たちの道と行いを正せ」と迫ります。エレミヤの言葉を聞いた人々は、南ユダ王国の人々です。彼らは、ヨシヤ王による申命記をもとにした改革に賛成し参加した人、バビロニア帝国に対抗するエジプトと共に歩もうとする者、バアル宗教を復活させたマナセ王の道に歩む者など様々な人たちです。彼らは「それは無駄です。我々は我々の思い通りにし、おのおの頑なな悪い心のままにふるまいたいのだから」と返します。
このようなことで、南ユダ王国とエルサレムは、滅亡へと前進していくことになります。エルサレム神殿もエルサレムの城壁も破壊されてしまいます。
エレミヤは、イスラエルの神がバビロンの神に敗北したと考えていません。神がイスラエルを国家滅亡という試練を与えたと考えました。神の愛による懲らしめは、神を信じる者たちに再び立ち上がらせる基となりました。新たな神の導きが実現したのは、南ユダ王国(BC586年)が滅ぼされてからおよそ半世紀後でした。
わたしたちは、主イエス・キリストの福音に基づいて、エレミヤへの神のこの言葉に向き合いましょう。私たちは、主イエスの十字架の死によって、罪が赦され贖われたと信じています。その赦しの結果、主の御言葉を受けて私たちの歩みが根本から変わったと考えています。神の救いの言葉に、心を開いて歩んできました。だからこそ、覚えておきたい。私たちは、神の御手の内にあると。神の御手にあるということは、神の御心に適う者として創り上げられていくということにほかなりません。それは、陶工である神の成さることに、自分自身をお委ねするということです。