【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2020年11月15日説教要旨
聖書箇所 伝道の書7章15~24節
神の恵みと義に生かされて
日本バプテスト大阪教会
下川俊也牧師
7章冒頭で伝道者は「死ぬ日は生きる日にまさる。悲しみの家(葬儀)にはいるのは、宴会の家(婚礼)にはいるのにまさる。死はすべての終わりだからである。生きている者はこれを心にとめる」とさとします。メメント・モリという言葉をご存知の方もおられるでしょう。これはラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」といういましめであります。この7章全体を読みますと、伝道者は人間にとって避けることの出来ない「死」と「罪」の問題に触れていることがわかります。人は世にあってどんな良い人も悪い人誰もが死ぬべき存在である。だから「今をどう生きるか」を私たちに問いかけます。創世記によれば、主なる神は御自身がお造りなられた最初の人(アダム)がエデンの園でご自身とのよき関係性を保ち、平安のうちに永らえるようにと心から願われ、アダムに「園のすべての木から取って食べなさい。ただし善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると死んでしまう」と命じられました。ところがアダムはエバと一緒にその神の命じられたことを破り善悪の木の実をとって食べ、その罪のゆえに死ぬべき者となってしまうのです。
伝道者は7章29節で次のように言います。「神は人を正しい者に造られたけれども、人は多くの策略を考え出した事である」。この「策略」とは、創世記3章にあります、罪の誘惑の声に乗じて人が神との関係性、また人との関係を損なう滅びの道であり、理屈をこねては何とか自己正当化しようとする人の浅ましいましさを示しています。そのことが「罪」なのであります。
本日は新約の時代に生きる私たちの視座から「神の恵みと義に生かされて」と題し、み言葉に聞いていきたいと思います。