【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2026年2月1日説教要旨
聖書箇所 ローマの信徒への手紙8章31~39節
神の愛とわたしたち
原田 寛
○「神が味方であるなら:、だれがわたしたちに敵対できますか」
パウロが説明する神は、唯一の神、御子イエス・キリストをこの世にお遣わしになった「真の神」です。
パウロは、他の「神」について何も触れません。パウロにとって他に「神」はないからであり、聖書においては、他の「神」と称するものはこの世に属するものなのです。パウロが示す「神」は、御子の死とその死からの復活を通して、いわゆるこの「世」のすべて価値を凌駕したのです。パウロは、この神が味方だから、だれも敵対することはできないというのです。
○ 肉の法則、霊の法則
パウロは、この8章1節以下において、肉と霊、死と命、敵対と服従、罪の束縛と罪からの解放・・・そのような事柄を展開しています。信仰者の現実は、肉の法則の下にあります。皆、死ぬ存在だからです。わたしたちにとって死ぬ存在であるということは、この「世」の価値観の中で歩むという現実を示しています。だれも自分自身では、それを離れることも逃れることはできません。しかし、パウロは、主イエス・キリストを信じる信仰によって、「キリストがあなたの内におられるなら、体は死んでいても、霊は(信仰の)義によって命となっています」と霊の法則として示しています。
○ 肉の思いをベースにしてはならない
御言葉は、人を死から命に導かれる神が味方だといわれます。信仰者は、真の神が味方だということについて、この肉の思い(世の価値)をベースにしてはなりません。「肉の思いは死ですが、霊の思いは命と平和です」と示されているように、肉の思いは死だからです。人は弱い。それは、現実を肉によって歩んでいるからです。病気になることも、老いることも、財布や預金通帳の中身までも肉的な事柄です。人は、見えないものを可視化(データ化)する努力をします。それは、可視化(データ化)することによって、課題を克服する基になるからです。不足していることがあれば、補う努力をすることになります。
霊的な歩みには、可視化することは必要ありません。信仰者は、皆主イエスに向き合い真の神に救われるのです。、信仰歴によってとか教会への貢献度とか、人がはかるようなものではない、神が人を救うのです。
○ だれも、どのようなことも、神の愛からわたしたちを引き離すことはできない
イエス・キリストを信じる信仰のベースにあるのは、霊的な思いです。それは、この世の事柄では説明つきません。殺人をして死刑と判決がくだった人でも、そのあとに主イエスを信じる信仰に導かれて救われたのなら、彼はクリスチャンです。余命幾ばくもない人が、救われたいと聖書を開いて信じて受け入れるなら、真に救われるのです。神との霊的なつながりを持つものをその神の愛から引き離すことは、どこにもないのです。
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