【説教音声ファイル】
2018年6月10日説教要旨
聖書箇所 詩編31篇15節、コリント人への第2の手紙4章14節
神の時こそ、最上の時
大野惠正
来年の春、天皇が行為を退くことと絡んで、あたらしい元号をめぐる問題が話題になっています。元号はこの国の時間が,どの時代のものかを定めるものとされています。私は昭和の生まれです。平成の時代を過ごし、主の御旨であれば、次の元号のもとで生きることになります。でも、それにどんな意味があるのかを考えさせられています。
私は1939年の生まれです。1939年というのはイエス・キリストがこの世界に来られてから、1939年たった年に生まれたと言うことです。
その年号のもとに生きるということは、神さまが私を愛し、私の罪を赦し、主の復活によって、わたしが永遠のいのちへと招かれる、そのようなときの中にわたしはある、ということです。ですからキリスト暦、いわゆる西暦のもとに生きるということはこの神さまの御手の中で、私の時を数えるということになります。 今日は、詩編31編15節の言葉を主の御言葉としていただきます。 「わたしの時はあなたのみ手にあります。わたしをわたしの敵の手と、わたしを責め立てる者から救い出して下さい 」。という言葉です。
この詩を歌っている人は困難に当面しているようです。彼は敵の手に囲まれ、その敵に責め立てられているのです。 ですからこの人の日常生活は、深い恐れに戦かない訳には行かないものになっています。このような状態に陥っている人はたくさんいます。日本大学のアメフト部の前監督、コーチたち、日本政府の高級官僚の人たち、特に佐川さんとか総理秘書官だったかたなど、震え上がるような思いで生きているに違いないと思います。病気に攻められているひとびと、いじめに遭ってる子どもたち、お金に追いかけられて生活する人たち。私たちの身の回りに、さまざまな敵、生きていくことの妨げになっている問題に囲まれて苦しんでいる人たちは山ほどおります。そして私たちの誰もが、生涯の中で、幾度かこの想いを味わうのだと思います。
詩篇31編を歌った詩人もそうなのです。この詩人は敵に囲まれて責め立てられる状況の中で、気がつくのです。私の時は、天皇の支配の時の中にあるものでも、自分自身の年齢の時にあるのでもなく、私の時はあなたの御手にあります、ということに気がつくのです。 「私の時は、あなたの御手にあります」とはどういうことでしょうか。あなたの御手というものがあって、その御手の中に自分の今日の時はすっぽりと受け容れられているということです。あるいは自分の人生が何であったとしても、自分の人生はあなたの御手の中に包まれているということです。私たちの時は神の御手に支えられて居る。そうです。私たちの時は、神の御手に支えられて居るのです。
パウロは言っています。「主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエスと共によみがえらせ、そして、あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っている」と。パウロがここで言っておりますのは、私の時を握りしめていてくださる方は、主イエスを甦らせ、そして私たちをも主と共に甦らせてくださる。こうして私たちは主と共に神の前に立たせてくださる。自分はそれを知っている、ということです。
それですから彼は、自分が考える自分の道ではなく、この方が握りしめてくださる自分の命を、本当のいのちの道をひたすら生きたのです。そして御国へ、人間の本国である天の故郷に、歩んでいったのです。 神さまは、私たちをも、同じように扱ってくださいます。 私の時は、神さまのみ手の内にあります。大切に、生ききっていきましょう。