【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2018年7月29日説教要旨
聖書箇所 創世記21章1~8節
「神は約束されたとおりに」
西南学院大学神学部教授 才藤千津子
主は、約束されたとおりサラを顧み、さきに語られたとおりサラのために行われたので、彼女は身ごもり、年老いたアブラハムとの間に男の子を産んだ。それは、神が約束されていた時期であった。アブラハムは、サラが産んだ自分の子をイサクと名付け、神が命じられたとおり、八日目に、息子イサクに割礼を施した。息子イサクが生まれたとき、アブラハムは百歳であった。サラは言った。
「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう。」
サラはまた言った。「誰がアブラハムに言いえたでしょう サラは子に乳を含ませるだろうと。しかしわたしは子を産みました 年老いた夫のために。」
やがて、子供は育って乳離れ(ちばなれ)した。アブラハムはイサクの乳離れの日に盛大な祝宴を開いた。
創世記21章は、年老いたアブラハムとサラ夫婦の間に、待望の息子イサクが生まれるという有名な場面です。この箇所を新共同訳で読みますと、「主は、約束されていたとおり」、「さきに語られたとおり」、「神が約束されていた時期だった」と、この夫婦の間に神の約束がまさに実現したことが畳み掛けるような口調で語られています。しかし、アブラハムとサラは、この神の約束をすんなりと受け入れ信じた訳ではありません。この箇所ではサラは喜びの笑い声をあげていますが、18章では神のみ使いの言葉を聞き、そんなことはあり得ないと「ひそかに笑った」のです。神の約束の言葉を信じきれないアブラハム夫婦と、それにもかかわらず約束を実現してくださる神の力強い愛、そして変えられてゆくアブラハム。「信仰の父」と言われる彼の姿から、わたしたちは何を受け取ることができるでしょうか。