【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2019年3月10日説教要旨
聖書箇所 出エジプト記20章2節、ヨハネ10章11~16節
私はあなたの神
大野 惠正
キリスト教信仰を保っていくために重要なものとして、教会は「三要文」を定めてきました。「三要文」とは、十戒と主の祈りと使徒信条です。そんなの知らないという人があるかも知れませんが、16世紀日本のキリシタンの信仰指導書「ドナリイチ・キリシタン」もこの三要文をもって、求道者を教育し、宣教しているのです。
教会の礼拝では、主の祈り、使徒信条は唱えるが、十戒を唱えているところは決して多くないと思われます。しかし、十戒は①「神はどのような方か」、②「神との人間の関係で大事なことは何か」、③「人間同士の関係で基本的に大切なことは何か」を示してくれるものだから重要なのです。
今日はその十戒の最初のところ、十戒の土台と言うべきところを,聖書のテキストといたしました。「神はどのような方か」を語っているところです。
わたしは・・ヤハウェである。 アノーキー ヤハウェ これは神の自己紹介です。神が、私が想像しなければない神でなく、神ご自身の側で、自らをお示し下さる。 アノーキーは、「わたし」を強調する一人称単数です。ヤハウェとは「最高存在」「最も側近くにいてくださる方」「最も大切な方となって下さる存在」を意味する言葉です。
あなたの神。 エロヘーハー あなたの神とは、あなたが信じている神という意味でしょうか。出エジプト記のこれまでの筋からいえば、民はヤハウェを信じ切れてなどいません。したがって、ここで「わたしはあなたの神だ」と神が言われるとき、それが意味しているのは、「あなたがわたしを信じていなくとも、わたしがあなたの神だ」と神は言っておられるということです。わたしが何者であろうと、わたしには「神」である方がおられるということは、なんという恵みであろうか。
導き出した者 アッシェル ホツェティーハ ここにはこのヤハウェが私にどのようなことをなさった方であるかが示されています。私を連れ出す方。私を導き出す方。それが聖書における神の第一義的な行為です。。神は、救い出してくださる方である。どこから。私のすべての現実からです。
エジプトの地から メエレツ ミツライム 「エジプト」とはイスラエルにとって常に重荷でした。エジプトが飢饉の際の逃れ場であったことは確かである。しかし常に重荷であったことも確かです。私たちにも自分ではどうにもならない重荷、「私のエジプト」がある。神はそのエジプトから導き出してくださるかたです。奴隷の家から 出「エジプト」記とあるように、彼らはエジプトで奴隷でした。奴隷とは過酷な労働を課され、人格を剥奪され、非人格的な存在とされているもののことです。私たちにも人格の崩壊の危機があり、非人格的に取り扱われて悲憤に泣くときがあります。しかしヤハウェは、その状態からイスラエルの民を導き出し、救済したのです。
イエス・キリストはご自身を私たちのために命をも棄ててくださる羊飼いだと言ってくださっています。イエス・キリスト。善き羊飼い。その方こそ、私たちの主です。その羊飼いに導かれて命の日々を歩んでいきましょう。
最期の旧約聖書から、エレミア書24章9節の言葉を味わって、私たちの命の御言葉を戴きましょう。「彼らはその魂のすべてをもって私のもとに帰ってくる」アーメン。