【聖書箇所朗読(イザヤ55章1節-9節)】
【聖書箇所朗読(マタイ4章1節-4節)】
【説教音声ファイル】
2018年10月28日説教要旨
聖書箇所 イザヤ55章1節-9節、マタイ4章1節-4節
聖書から生きる力を
瀬戸毅義
バプテスマ(受洗)おめでとうございます。日本のキリスト教人口は1%にも満たないというのが実情でしょう。キリスト教徒になることは神の恩恵だと思わずにはおれません。聖書は言います。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。」(ヨハネ15:16)
あなたが神から選ばれてキリスト信徒となったのはあなたが実を結ぶためです。
キリストは悪魔の試みに遭われたときに申命記と詩編(旧約聖書の)の言葉で対応しました。マタ4:4/申8:3、マタ4:6/詩91:11、12 マタ4:7/申6:16。主は旧約聖書を熟知していたことがわかります。「イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」(マタイ4:4)。私どもはこの言葉を文字通りに受け取っているのでしょうか。ともすればパン(生活)の方に重きを置いているのではないかと反省させられます。
クリスチャンになると何やらお人よしになり、厳しい現実の社会で生きてゆけないのではないかと思う人がいます。そうではありません。実は反対です。かえって人生行路を生き抜く一番確実な道なのです。
旧約聖書を見ましょう。イザヤ書55章1節、2節です。
世の中には多くの勤労と、多くの金を払って買っても、少しも心の渇望を満たすことができない物ばかりがいたって多いのです。けれどもわたくしたちは神に来ることによって、一切の求めを満足させることができます。
聖書は言います。「なぜ、あなたがたは、かてにもならぬもののために金を費し、飽きることもできぬもののために労するのか。わたしによく聞き従え。そうすれば、良い物を食べることができ、最も豊かな食物で、自分を楽しませることができる。」(イザヤ55:2)。
イエスは言われました。「わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」(ヨハネ6:51 )。また、言われました。
「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。(ヨハネ7:37-38)
「あなたがわたしの心にお与えになった喜びは、穀物と、ぶどう酒の豊かな時の喜びにまさるものでした。わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。」(詩編4:7-8)
内村鑑三のことばを贈ります。人生行路の導きになさってくださると感謝です。
処世の道
わたくしにもまた処世の道があります。いたって簡単です。活ける神を信じる事です。その指導を仰ぐ事です。その霊を我霊に受けて罪悪の世と闘う事です。これに十字架はあるでしょう。
骨肉と友人との反逆はあるでしょう。しかしその達する所は明白です。危険であるように見えますが最も安全な道です。
窄(せま)いですがまっすぐです。これを探すのに多くの智識は必要ありません。目の見えない人も良くこれを辿ることができます。世に屈曲(くっきょく)極(きわ)まりない虚偽(きょぎ)の世路(せじ)を探(さ)ぐる人は多くいますが、この直道を選ぶ人が少ないことを不思議に思います。
(出典「処世の途(みち)」『聖書の研究』1909/明治42年2月。)