【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2023年2月19日説教要旨
聖書箇所 ルカによる福音書8章4~10節
聞く耳のある者
片山 寛
このルカ福音書8章の「種まき」のたとえは、このすぐ後の11節以下で、イエスさまご自身がその意味を「解説」してくださっています。この点は、この箇所の並行記事であるマタイ13章、マルコ4章でも同じです。しかし今朝は、私はあえてその前のところで立ち止まって、このたとえ話の意味を考えてみようと思います。つまり、イエスさまが群衆に「聞く耳のある者は聞け」とおっしゃって、そこで解散した群衆の一人として、このたとえ話を一旦、理解してみたいのです。弟子たちが困惑して、「この譬(たとえ)はどういう意味でしょうか」と質問した、そのお弟子さんたちと同じように、「聞く耳」のなかった者として、困惑してイエスさまに質問してみたいのです。
種まきが種をまいて、その種がいろんなところに落ちる。道ばた、岩の上、いばらの間、良い地。弟子たちへのイエスさまの「解説」では、種は「神の言」であります。つまりこれは、弟子たちが宣教をして、神の言を伝えるのですが、それが豊かに実を結ぶとはかぎらない。しかしがっかりしないで種をまき続けなさい、という意味になります。「水の上にパンを投げよ」(『伝道の書』11章1節)と同じような意味になるのだと思います。
ところがその「解説」を聞かないでこのたとえ話を聞いた群衆は、何を学んだのでしょうか。私はきっと、こういうことではなかったか、と思うのです。種は私たち自身である。私たちは、自分の生れや運命を選ぶことはできません。ある人は生まれつきお金持ちに生まれて、有利な立場であり、多くの実を結ぶかもしれない。でも自分の生涯は茨の中だった、と考えた人もいたでしょう。そういう解釈が間違いだというのではなく、イエスさまは、その解釈も認めた上でこれを語っておられると思います。