八田 堅司
この度、神様が私たち家族をこの筑紫野南教会へと導いて下さり、信徒の皆様が受け入れて下さったことに心より感謝を申し上げます。また、痛みを伴う祈りをもって送り出して下さった日本キリスト教会福岡筑紫野教会の皆様、協力牧師である福岡城南教会澤正幸先生にこの場を借りて心から感謝を申し上げたいと思います。箴言19章21節に『人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。』との御言葉があり、今回籍を移したことが神様の御心であり、救いのご計画の一つであることを信じて御霊の導きを祈りつつ皆様とともに歩んで参りたいと思います。
籍を移して改めて覚えさせられたことは、妻と長女そして二女には教会籍が無いということです。ただし、神様は天に国籍をご用意くださって、信徒の皆様を通して目に見える形で御許(みもと)に招いていて下さっているということも明らかにして下さっています。主の栄光輝くこの教会で近い将来、家族そろって皆様とともに礼拝できますことを切に願っております。
1972年1月19日、私は現在実家のある山口県宇部市で生まれました。3歳まで父の仕事の関係で大阪府池田市に過ごし、母の信仰により2歳のクリスマスの時に日本キリスト教会池田教会で征矢野豊牧師により幼児洗礼を受けました。4歳の時に兵庫県尼崎市に引っ越し、日本キリスト教会西宮中央教会に転会致しました。日曜日には母と2歳年下の弟と礼拝に出席し2年間付属幼稚園に通いました。中2の春、父の転勤で福岡市に引っ越した際、南区にある日本キリスト教会福岡筑紫野伝道教会に転会することとなりました。17歳高校2年生の時に枝松博展牧師のもと信仰を告白し教会から正式な教会員として認められ神様に仕えていくこととなりました。
中村学園大学を卒業した私は、小学校の講師を3年間務めたあと能力的に十分な活躍ができないと感じ、もともと好きだった食の道に進もうと食品会社に転職致しました。その頃の私は学校で学んだことを台無しにし、お世話になったたくさんの方々や両親の思いを裏切ったと感じてひどく落ち込み劣等感にも苛まれました。当時を振り返りますと自分はかなりの完璧主義で傲慢であったと思います。信仰を告白してなお自らの力に頼り、人に仕え、神様にすべてを委ねることができませんでした。そして、うつに近い状態になったと思いますが病院にはいきませんでした。心の病を治す最も良い病院は教会だと分かっていたからです。み言葉による癒しと信仰を共にする兄弟姉妹による励ましが、私を再び立ち上がらせ、力を与え、生き返らせて下さったのです。
11年間食品会社に勤める中で妻と出会い2002年6月に結婚し職場と妻の実家が近い小郡市で暮らすようになりました。2009年に現在の食品会社に転職し11年が過ぎました。今も多くの困難に出会いますがどんな時も神様が御手をもって行く道を守り必要な知恵を与えて下さって感謝の内に生きることができています。
今回、信仰のルーツについて母に聞く機会を得ました。そのルーツは、母方の祖母が女学校時代に出会った友人がクリスチャンであり、その強い生き様に惹かれた祖母が娘である母とその兄、弟の3人の子を山口県宇部市にある日本キリスト教団小松原教会に通わせたことに遡ります。中2の時友人に誘われた母は、自宅近くの宇部ルーテル教会に通い始め、大学1年の時に洗礼を受けました。75歳になった今もその教会に通い父とともに礼拝に出席しております。
最期まで仏教徒であった祖母の、いまとなっては名前も分からぬクリスチャンの友人を通して今、母そして私の信仰生活があり、伝道の道が開かれています。人知を超えた神様のお計らいを感じます。私の乏しい信仰生活もいつか誰かの信仰につながる路(みち)となることを信じ、御霊の働きを祈って日々交わるすべての人にキリストの香りを届けていきたいと思います。
『愛は忍耐強い。愛は情け深い。~』と続きます第1コリント13章に記される神様の愛が満ちる世界であるように、自らの力に依らず、神様が溢れるほどに注いでくださる愛と賜物によって皆様とともに永遠の命に至る勝利の道を歩んで参りたいと思います。