【音声ファイル】
瀬戸紀子
私の信仰生活にとって、み言葉と讃美歌は、いつも大きな支えとなっています。
特に試練の時には励ましになっています。
7月19日の夜、9時頃でした。電話が鳴って「2番目の娘が車にはねられたので、すぐ来てほしい」とのことでした。びっくりしましたが、二人で祈ってから久留米大学病院の救命救急センターに駆けつけました。病院に着くとしばらくして医師の説明がありました。医師の説明では10か所骨折しており、肺から出血しているのですぐに輸血をして、肺からの出血を止めなければならないということでした。警察官の話では1メートル上がり、3メートル飛ばされたようです。11時頃から3時頃まで手術がかかりました。その間、「安かれわが心よ」の賛美歌がずっと心の中にあり、心の中で歌っていました。その手術が終わって説明を聞いて、朝8時半に骨折の手術があるので一旦、帰宅して再度出治すようにいわれました。夫と一緒に帰り、少し休んでまた再び病院に行きました。8時過ぎに病院に着き、8時半に手術が始まり、終わったのが午後2時過ぎでした。その間私の心に浮かんできたのは「詩編121編」でした。そしてその讃美歌「山辺に向かいて我、目をあぐ。助けはいずかたより来たるか。天地のみ神より、助けぞ我に来たる」でした。主、共にいますと力を受け、心の中でずっと歌い続けました。手術が終り、医師から説明を受けました。
ICU に行ってみると、両足にビブスがはめられ、左足の真ん中に太い金属の棒がささり、その周りをしっかり四角の金属で固定してあるのには、びっくりし、痛ましいと思いました。しかし顔はきれいでした。頭も打っていないし、首も大丈夫でした。私の顔を見ると「あ、お母さん」といってきたのでほっとしました。1週間後に金属の棒を取る手術がありました。そしてもう一度手術があり、計4回手術しました。医師から「大丈夫ですよ。また元のようになりますよ。左足は杖をつかなければならないかもしれませんが」といわれました。救命救急センターから一般病棟(精神科)に移されましたが、リハビリが始まる前は、何時からリハビリが始まるのか、本当に大丈夫だろうか心配しました。2か月経ってからリハビリが始まりました。少しづつ訓練を続け、リハビリの病院に移り、現在では室内ではゆっくりですが杖をつかなくても歩けるようになりました。
夫と二人で毎日お祈りを続け、皆様にも祈っていただいて神様は癒してくださいました。
ほんとうに感謝です。全く動けないところから、よくこのように元気になることができたと神様に感謝しています。これは神様からの私達、特に娘に対しての一方的な憐れみによる癒しであると只々感謝しています。
「祈っていますよ」と言って下さった教会の皆様に力づけられましたことを心から感謝しています。