【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2024年2月18日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書4章1~11節
試みる者、悪魔
片山 寛
「悪魔」という存在があります。現代でも大きな力をふるっていて、私はときどき、日本でも世界でも、政治家たちは悪魔によって踊らされているのではないだろうか、と考えることがあります。彼らの判断の誤り、自己保身への渇望によって、不正な裏金が積み上がったり、不正が支配して、時には何万人もの人々が命を失ったりします。悪魔は恐ろしい力を持っており、決してあなどることはできません。それは本当です。
しかしもう一方で、悪魔を恐れてはならない、とも言われます。悪魔は志操堅固な人に対しては無力であり、無視してもさしつかえないものだ、とも言われるのです。人間の心の弱さや疑惑こそが悪魔のつけ目であり、攻撃材料なのだというのです。次のような、小さな物語があります。
現代人
一人の男が荒野で道に迷った。助けが来なければ、のどの渇きで死んでしまうだろう。その時彼は、前方に椰子の木を見た。それどころか、水のせせらぎさえ聞こえるのだった。しかし彼は考えた。「これは蜃気楼にすぎない。私の幻想がいたずらしているのだ。現実には存在しないのだ」――希望を失い、半ば正気を失って、彼は地面に倒れた。しばらくして二人のベドゥインが、彼が死んでいるのを見つけた。「おまえ、納得できるかい」と、一人がもう一人に言った。「水のすぐ近くで、しかもほとんど目と鼻の先に椰子が生えているのに!いったいどうしたというのかね」。もう一人が言った。「この男は、現代人なのさ」。
Kurzgeschichten I, 73