【聖書箇所朗読】
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2024年4月28日説教要旨
聖書箇所 ヨハネ福音書3章1~15節
霊から生まれる
原田 寛
ニコデモは、何のためにイエスのもとに来たのでしょうか。ニコデモは、夜イエスのところに来ていますが、いったい何を求めていたのでしょう。彼は、ガリラヤ出身のファリサイ派のひとりでユダヤ人の間で人望がありました。彼は、ガリラヤ出身の人から預言者もキリストも出るはずがないという考え方をしている最高法院の同僚の前でイエスの立場を弁護しました(ヨハ7:51)。またイエスの遺骸のために香料を整え、埋葬の準備をした(ヨハ19:39)という人です。彼にとって、ヨハネ福音書3章の、イエスとの出会いの出来事に大きな意味がありました。
すなわち、ニコデモは、「新しく生まれなければ神の国に入ることはできない」・・・と言われたことばでイエスに出会っていったのです。新しく生まれるというのは、神の国を受け継ぐようにと、永遠の命を与えられるということです。
新しく生まれるために、「人は年をとってから生まれることができますか、もう一度、母の胎にはいる」のですかとニコデモは問いますが、イエスは「水と霊とから生まれなければならない」と言われます。「水」と「霊」、すなわち、水のバプテスマと霊のバプテスマという意味です。バプテスマは、ご存知の通り、水に沈めるという意味からきています。
バプテスマのヨハネが授けていたのが水のバプテスマです。それは、罪を悔い改め、もう罪をおかさずに神の御旨にふさわしい歩みをするというバプテスマです。そして、ヨハネ福音書は、聖霊のバプテスマについて記します。聖霊のバプテスマは、御霊が降って留まった主イエスによって授けられるものです(ヨハネ1:34)。バプテスマのヨハネは、聖霊の留まったイエスを神の小羊と呼びました。その小羊という意味は、すべての人の罪を取り除くというイエス・キリストのあり方を示すものです。
聖霊のバプテスマは、イエスが授けるものです。心を合わせてひたすら祈っていた教会に注がれ(使徒2:4)、教会の中に住み(一コリ3:16)、キリスト者を清めます(ローマ15:16、一コリ6:11)。聖霊に導かれる者は、律法のもとにではなく(ガラテヤ5:18)、神の子であると言われます。パウロは、ローマ8:9で、「神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉の内にいるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊をもたない人がいるなら、その人はキリストのものではない」と言います。つまり、聖霊のバプテスマを授かった人たちは、イエス・キリストと共に神の子なのです。また、聖霊を授かっているからこそ「イエスは主である」と告白するのです。そして、イエスが「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」といわれる御言葉によって歩む者となるのです。