2018年2月11日説教
「頭をさげなかった青年―信教の自由を考える」
瀬戸毅義
シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは、戦争に負けて連れてこられたユダヤ人の青年でした。彼らは敗戦国の出身とはいえ幼い時からしっかりと宗教教育を受けていました。聖書の「 あなたはわたしのほかに、それにひれ伏してはならない」との教えを守りぬくとの決心がありました。(出エジプト20:3-5)それで戦勝国バビロンの王ネブカドネツァルの建てた金像をおがみませんでした。3人の若者は答えました。「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」(ダニエル書3:16~18 新共同訳)ダニエル書の若者の言葉こそ、本書の著者の信仰であり、本書が保存された理由となったものです。旧約のダニエル書はスリア王アンテオカスⅣ世<エピファネス)(前175~164)の迫害に悩むユダヤ人に対して書かれたものです。これは異邦の圧迫に対する、ユダヤ人の心の叫びをあらわしている言葉なのです。日本のキリスト教人口は少ないものです。人口の1%あるかないかでしょう。クリスチャンには、時として自分の信仰を吟味せざるを得ない時があるのです。時代は違いますが、内村鑑三先生にも同じ体験がありました。1891(明治24)年の1月9日、東京の第1高等中学校で教育勅語奉読式があり、教授60名、学生1000名が講堂に集まりました。教授・生徒は5人ずつ進み出て、壇上にあがり教育勅語の晨署(天皇の署名)に奉拝することになりました。勅語の傍らには一高の校旗である護国旗があり、正面中央に明治天皇及び皇后の写真が掲げられていました。重々しい雰囲気です。そこに新米教員の内村鑑三がいました。彼は心に瞬時の判断をして礼拝的低頭をしませんでした。彼の態度は後に内村鑑三不敬事件として歴史に残りました。日本国憲法20条はすべての人に信教の自由を保障し,宗教儀式への強制参加を禁じ,14条は信条による差別を認めない(信教の自由)。また20条は国家にいっさいの宗教的活動や宗教団体への特権付与を禁じ,89条は宗教団体への公金支出を認めない(政教分離)としています。このようにきちんと決められているのは、信教の自由が極めて重要だからです。浅見仙作翁治安維持法違反事件、津地鎮祭訴訟の時、最高裁長官は藤林益三先生(基督者)でした。例話としてお話しをします。