【聖書箇所】
【説教音声ファイル】
2019年2月17日
聖書箇所 ピレモンへの手紙 8節~12節
「ピレモンへの手紙―小さな宝石」
瀬戸 毅義
ピレモンへの手紙は新約聖書の一書ですから何やら堅苦しく思いますが決してそうではありません。使徒パウロの涙と祈りの伝道の中で実際にあったことを記した極めて個人的な手紙(私信)です。小さな宝石のような手紙です。パウロの内面の理解には公的性質に富むロマ書よりも、むしろピレモン書から入れとはダイスマン(ダイスマン1866-1937/新約聖書学者)の言葉です(前田護朗『新約聖書概説』)
この手紙の内容を短くまとめましょう。ピレモン(パウロに導かれたクリスチャン・名前の意は「善意」)のところから奴隷オネシモ(「有益」の意。「益太郎」は内村鑑三の意訳)が盗みをしたか何かで逃亡しました(15節)。この奴隷がパウロを頼って獄中のところまでやってきました。彼は入信しクリスチャンとなり、名前にふさわしい人間になりました(10節-11節)。パウロはむしろ彼を膝元におき世話をさせたいと願いましたが(13節)、オネシモの主人ピレモンの同意なしにそうしたいとは思いませんでした。一筆したためました。「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上のもの、愛する兄弟として・・・わたし同様に彼を受けいれてほしい。もし、彼があなたに・・・何か負債があれば、それをわたしの借りにしておいてほしい。このパウロが手ずからしるす、わたしがそれを返済する。」(16-19節)このパウロの言葉にクリスチャンの模範を思います。
このパウロの態度に罪人である人間がキリストの贖罪によって罪を許され神に立還(たちかえ)ることができる同一の原理が示されています。この点にも本書の価値があります。
パウロは一里強いられたならば二里ゆけ(マタイ5:41)と教えたイエスにならいました。その一例をピレモン書は示しています。本書に示されたパウロの態度は、キリストの精神による奴隷解放の模範でした。奴隷オネシモが人信した時、パウロが自らの解放の喜びをもってオネシモを解放せよと懇願したことは、暴力や革命によらず平和と愛による社会改良への深い示唆でもありました。
名宛人として本文中(1-2節)に「キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する同労者ピレモン、姉妹アピヤ、わたしたちの戦友アルキポ、ならびに、あなたの家にある教会へ」と数人の名が記されます。ここに「あなたの家にある教会」とありますから、ピレモンは声望ある人柄、奴隷を抱えたことから裕福だったと思われます。奴隷オネシモも(コロサイ4:9)も家人アルキポも(コロサイ4:9)もコロサイの人ですから、主人ピレモンもこの町に居を構えたのでしょう。パウロはコロサイを訪れたことがありませんでした(コロサイ2:1)が、ほど遠からぬエペソに3年もいました(行伝19章)。パウロとピレモンの出会いがあり、ピレモンはクリスチャンとなり、家人も共にパウロの話を聞くために集ったことでしょう(行伝11:14、16:31に示されるように)。そのような時、奴隷のオネシモも主人のピレモンと一緒にパウロの話を聞いたことでしょう。
パウロは紀元59年~62年頃ローマの獄中でしたから、本書が記されたのは60年頃となります。手紙の受取人のピレモンはコロサイにある家の教会の責任者でした。パウロの獄中がローマではなくエペソなら(コリント第一16:1以下、使徒19:8以下)、紀元54年~5年頃の入獄時となり、その頃の手紙です。コロサイとエペソは比較的近い旅路にありました。(新共同訳新約聖書略解)