【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2021年8月1日説教要旨
聖書箇所 コリント人への第一の手紙 1章26~30節
手に何もなくキリストに行く
瀬戸 毅義
1945年(昭和20年)8月15日、「大日本帝国」は崩壊、日本は敗戦の辱めを負いました。長い戦争中心の生活でした。太平洋戦争がはじまってからあしかけ4年、満州事変がはじまってから15年も戦争を続けました。ホシガリマセン、カツマデハ!贅沢は敵!一億火の玉!これがその頃のスローガンでした。その結果は飢餓、貧困、空襲、敗戦後の多額の賠償でした。わたくしどもの父や母、祖父母はそういう難局の中でコツコツと働き戦後の日本をきずきました。ここに平和の大切さがわかるのであります。
今日は8月の第一主日であります。8月はいつも終戦記念日を覚えて聖書のお話をするのですが、そのお話は別の機会にさせていただきます。今朝は週報予告の通りにすすめさせていただきたいと思います。
キリスト教の救いはむずかしくありません。聖書には次のように記されています。
「神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストはわたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとになられたのです。」(新共同訳)とあります。文語訳では「汝らは神に頼りてキリスト・イエスに在り、彼は神に立てられて我らの智慧と義と聖と救贖(あがなひ)とになり給へり。」です。ここに救いに必要な全てがまとめられています。
質問者(Q)は未信者、回答者(A)はクリスチャンとお考えください。
A.わたくしの人生の生き方、人生観(知恵)はイエス・キリストです。
様々の学説、生き方の書物などはたくさんありますが、私のいただく知恵はイエス・キリストだけです。
A.わたくしのモラル・道徳(義)はイエス・キリストです。多くの学説、倫理の書物などがあることは承知していますが、私の義はイエス・キリストです。
A.私は罪にみちたものですが、わたくしの聖はイエス・キリストです。
A.わたくしの救いの完成(贖)はイエス・キリストです。
聖書に書かれています。
神はあらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである(ローマ8:30)。
イエス・キリストに行くのに、手みやげはいりません。何も持たずに行きましょう。イエス・キリストはわたくしたちの知恵となり、義と聖と贖いとなってくださいました。それだけではなく、わたくしたちの救いを完成させてくださいます。最後の栄光にまで導いてくださいます。
私は罪にみちたものですが、主が導き、きよめ、完成させてくださることを信じて感謝であります。