説教要旨 2015.9.6(1主日)題:「じっと耐えて待つ信仰」
聖書箇所:出エジプト記32:1~14
牧師 岩橋 隆二
台風が来ると私は、嬉しそうな顔をするようです。連れ合いが「台風が来ると、あなたは嬉しそうね」と言います。これには理由があるのです。子供の頃、台風が来ると、日頃ばらばらの家族が一つになりました。先ず、決まって停電しました。円卓に蝋燭を灯し、家族がそれを取り囲んで、台風が通り過ぎるのをじっと待ちました。電線がヒューヒューと鳴り、雨戸が激しく音を立て、家全体が揺れる台風は、とても恐いものでした。でも、私の側には最も信頼する父・母・二人の姉がいたのです。一人では、とても耐え得るものではありません。その安心感を台風の度に思い出すのです。信頼する人に身をゆだねて、恐怖が通り過ぎるのを待つ、この幼い頃の台風経験は、人生の様々な問題に遭遇した時に、神様に身をゆだねじっと耐えて待つ大切さに繋がっているように思います。
さて、星野富弘カレンダーを使っている人は多いと思いますが、先月・先々月のカレンダーには二つのマンゴーの絵と、いつもの味のある書体の詩がありました。その詩に慰めを覚えた方は多かったのではないでしょうか。
「雨ニモマケテ 風ニモ負ケテ 夏ノ暑サニモ負ケテ 東ニ病人ノ人ガイテモ
西ニ困ッテイル人ガイテモ ナニモシナイ
丈夫ナ身体ニナリタクテ 健康食品ニ気ヲクバリ
ウマイモノガ好キデ マズイモノガ嫌イ
オカネモホシイ 着物モホシイ ソンナ私ガ仰向ケニネテイル」
これは、自分の弱さを知り尽くした星野富弘さんが、宮沢賢治の詩を逆説的に、ユーモアを交えて作った詩ですが、とても説得力があります。弱い人間の本質を言い表しています。今日の説教箇所も、少しでも油断すると直ぐに神様から離れる弱い民がいます。
モーセは主から示され山に登りました。そして、四十日四十夜シナイ山に留まっていたと記されています。この間、モーセは主から幕屋と祭具の作り方などに関する指示を与えられています。しかし、一方で山の麓にいたイスラエルの民は、モーセが帰るのを今か今かと待っていましたが、待ちきれなくなり勝手な行動に出ます。アロンのもとに集まり、「我々に先立って進む神を造ってください」と願い出ます。アロンはこれに対して、民がエジプトを出る際にエジプトから持ち出した彼らの財産である金の耳輪を持って来るように命じます。民は金の耳輪を差し出し、アロンは若い雄牛の鋳像を造ります。これは明らかに主がイスラエルに与えた十戒の第二戒に反しています。20章4a節「あなたはいかなる像も造ってはならない」とあります。十戒を与えられながら、そして、それを守ると約束しておきながら、実際には、民が最初にしたことは、戒めを破ることでした。イスラエルの民はモーセの力と働きによって、エジプトから解放され、荒野の旅を導いたと理解していました。しかし、それはモーセの業ではありません。主の御手によって導かれているのです。
目に見えるものに拠り頼む信仰は、目に見えなければ維持できない弱い信仰です。まことの信仰は、神様だけに向けられるべきです。どんなにすばらしく尊いもので神様に仕えても、ほかの考えが入り込むなら、神様を喜ばせることはできません。