2016.4.17説教要旨 聖書箇所:ヨハネの黙示録5章1~14節
説教題「天上で甦って生きている子羊」 牧師 岩橋隆二
私たちクリスチャンは、先ず“聖徒”にならなければ、つまり「聖霊によって清められた信者」にならなければ、祝福はありません。牧師や長老や執事という役職名の前に、神の民として聖徒になることが大切なのです。私たちは復活の時に教会の役職を携えて復活するのではなく、みな神の聖徒として復活するのです。そのためにも、礼拝の重要さが書かれた「ヨハネの黙示録」をしっかりと学びたいと願う者です。
「ヨハネの黙示録」を読んでいて一番に示されることは、何と言っても神様・イエス様を礼拝することの大切さです。二千年あまり前、つらい信仰の環境に置かれていた初代教会の聖徒たちを慰めるために与えられたこのメッセージは、主の再臨を待ち望む私たちにも同じ慰めの力を与えてくれます。
そして、ヨハネの黙示録を正しく理解しようとすると、何よりも現在と未来の一致性に目を向ける必要があります。神の救いのみわざには“すでに”と“まだ”の間の緊張関係があります。“すでに”なされた歴史があり、それに基づいてこれからなされる“まだ”に該当する預言が一緒にあります。この二つの領域の出来事が密接に結びつき、二つの時代が同時に見えるのが「ヨハネの黙示録」の特徴です。
ヨハネは、御座に座っておられる方の右の手に7つの封印で封じられた巻物があるのを見ました。その巻き物を開くことのできる者がいないのでヨハネが泣いていると、24人の長老の一人がダビデの根がその封印を解くことができると慰めます。ここで、ダビデの根はメシヤを指す呼称で、巻き物を開くためにその封印を解くことは世をさばく行為を指します。子羊が巻き物を受け取ると、回りにいた4つの生き物と24人の長老がひれ伏して礼拝をささげます。また、多くの御使いたちが子羊を賛美し、さらには天と地と地の下と海の中にある全宇宙が子羊に礼拝と賛美をささげます。
これらの描写は、子羊が力なくほふられたように見えても、天の観点から見ると、まことの勝利であり、贖い主として全宇宙の統治者となられたことを表しています。
第5章は七つの封印と、子羊に対する礼拝のことが記されています。聖書には七つという数字が良く出てきますが、七は完全数であり、「七つの封印で封じられていた」というのは、完全な封印で封じられていたという意味であり、人間の力や知恵ではあけることのできないような封印であったということです。聖書はたとえ人がどんなに知恵や知識を持っていても、経験を積んだ天才的な宗教家であっても、解き明かすことは出来ないということがここで示されています。聖書は、忍耐強く懸命に聞くことによって、御霊の力を受けてはじめて理解できるようになるのです。そういった意味において私たちは、聖霊を、御霊の注ぎを毎日毎日求めていかなければなりません。「天上で甦って生きている子羊」であるイエス様に心からの礼拝を捧げてまいりましょう。