9月24日説教要旨 聖書箇所:ヨブ記 1:20~22
「幸不幸二つとも」
瀬戸毅義
ヨブ記は数々の災難に遭遇し苦しみつつも、義人ヨブが神に回答を求めるお話です。人生の苦難の問題を追求した、文学史の上でも不朽の作品といわれています。
その粗筋は次のようです。ヨブは人も羨む幸福な人でした。7人の息子と3人の娘がありました。財産も沢山ありました。幸せを絵に描いたような家族を持っていました。ところが突然の不幸が一家を襲います。財産は奪われ子供たちも全員死んでしまいました。全てはあっという間の出来事でした。その時ヨブはこう言いました。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(1章21節)その後も不幸は撃ち続きました。彼の全身が病に罹ってしまい家をでて村外れに住むようになりました。
妻は疲れ果てて言いました。「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」(2章9節)。
これほど酷い目に遭いながらヨブは言いました。「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」(2章10節)更にこうも言いました。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
3人の友人が見舞いに来きました。友人たちは、これほどの災難はヨブの罪の結果であり、彼はその報いを受けたのだと言いました。ヨブが罪を告白し悔い改めれば、神は許され繁栄を回復して下さるだろうといいました。いわゆる因果応報の考え方です。ヨブは自分の罪を認めていましたが、それが彼の災難の原因だと決め付けられましたので、どうしても納得できません。
ヨブは友人たちに反論しました。また神に向かって、自分は何もしていないのに、なぜ不当な苦難を与えられるのかと涙ながらに訴えました。最後に神ご自身がヨブに語られ、人知を超越した知恵と力を示されました。苦難の理由についての説明はありませんでしたが、ヨブは神が自分を愛し信頼しておられることを知って神を責めたことを悔いました。
「わたしは知っている、わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。」(19節25節)これはヨブがイエス・キリストを待ち望んでいいたことを示すと言われている聖句です。
英語にthe patience of Jobという言葉がありますが、ヨブのような忍耐強さという意味です。
ヨブ記は旧約聖書の中の知恵文学の範疇に入ります。箴言、コヘレトの言葉(伝道の書)、続編(外典)のベン・シラの知恵、ソロモンの知恵も知恵文学に含まれます。