イエスが最後の夜を苦悶しつつ祈って過ごしたゲッセマネにある万国民の教会内
2017年10月8日 瀬戸 毅義
走り尽くした道程(みちのり) |
世には悲しい事は沢山御座います。然し「死」なるものをその根本より絶って仕舞ひさへすれば他に悲しい事は一つも無いやうになるはずであります.
なき人の煙となりし夕より
いとなつかしき塩竈(しおがま)の浦
これは復活を信じない人のその夫を荼毘(だび)に附した後の感でありました。又
春の日に盛りの花の衣着て
心うれしく帰るふる里
これは即ち復活を信ずる者がその妻を春の日に城北の青山に葬りし時に彼女の心もかくありしならんと独(ひと)り唱へし詞であります、復活を信ずると信ぜざるとによりて人々の生涯は非常に違って来ます。内村鑑三『宗教座談』(第7回 復活の事)。
もし天国、永世もなく復活もなければ如何にキリスト教はつまらない教えでしょうか。「イエス彼(かれ)に曰(いひ)けるは我(われ)は復生(よみがえり)なり生命(いのち)なり我(われ)を信(しん)ずる者(もの)は死(しぬ)るとも生(い)くべし。凡(すべ)て生(いき)て我(われ)を信(しん)ずる者(もの)は永遠(いつまで)も死(しぬ)ることなし爾(なんじ)これを信(しん)ずるや」(約翰傳11章25節、26節 文語・明治訳)
大切な夫を喪えば如何に辛く寂しいことでしょう。妻の思いを述べて作詩しました。(瀬戸)
代某寡婦言 某(ぼう)寡婦(かふ)に代(か)わりて言(い)う
獨夜涙新遺影前 独(どく)夜(や) 涙(なみだ)は新(あら)たなり遺影(いえい)の前(まえ)
君徂寂寂日如年 君(きみ)徂(ゆ)きて寂寂(せきせき) 日(ひ) 年(ねん)の如(ごと)し
何疑基督復生賜 何(なん)ぞ疑(うたが)わん 基督(きりすと) 復生(よみがえり)を賜(たまわ)る
最愛良人今在天 最愛(さいあい)の良人(りょうじん) 今(いま)は天(てん)に在(あ)り
遺影=故人の生前の写真や肖像画。寂寂=ひっそりと静かなさま。日如年=1日がとても長い。復生=復活。